2011年6月 1日 (水)

気象神社例祭(2011年6月1日)フォトギャラリー②

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気象神社例祭(2011年6月1日)フォトギャラリー①

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2010年6月 3日 (木)

気象神社物語(42)

神社の建築様式

気象神社の建築様式は神明造りです。

初代は昭和19年4月10日に創建され、素木で簡素にまとめられ気品に溢れた見事なものでした、と創建を命令された故渡会様は言っておりました。(気象神社物語参照)

二代目は昭和23年9月15日移設再建(気象神社物語)、第三代目は平成15年6月1日に造営され、その題材は木曽の檜材で屋根は銅板葺きです。気象神社物語6

奈良時代からの神社の建築様式としましては、神明造(しんめいづくり 代表例:伊勢神宮)、大社造(たいしゃづくり 代表例:出雲大社)といった純日本式の建築が多く創建されています。

時代が下るにつれて、仏教寺院の様式の一部を取り入れたりして建築様式は多様化されたと言われており、その様式の代表は、春日造(かすがづくり 代表例:春日大社)、住吉造(すみよしづくり 代表例:住吉大社)などがあります。

神社を参拝する時はこの神社の様式はなんだろうと由来盤を拝見してみてはどうでしょうか。

最近、参拝した神社で非常に珍しい五間社の流造(ながれづくり)の日吉神社(長野県宝)がありました。

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正面の扉が一つだけで、正面の柱間一間にのみ扉が設けられており、五間社という柱間を持つ社殿としては珍しい神社です。

また、この神社は南北朝時代に創建され、素木の部分が多く、高さのある屋根から流れ落ちるような屋根勾配は非常に美しい形を見せてくれる小さな神社です。

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東急電鉄創業者五島慶太翁(長野県小県郡青木村戸殿)生家の近くにありますので、お近くまでお出かけの際は参拝してみてはいかがでしょうか

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2010年6月 1日 (火)

気象神社物語(41)

第26回 (平成22年6月1日)「気象神社の例祭」

気象記念日の今日61日、毎年恒例となっている「気象神社の例祭」が

杉並区高円寺氷川神社境内にある気象神社にて執り行われました。

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61日は、統計上高い確率で晴天となる「晴れの特異日」とされています。

毎年61日に行われる気象神社の例祭は、

そのとおり開始以来一度も雨に降られたことがありません。

今年はここ数年の中でも、さわやかな晴天に恵まれました。

初夏を感じさせる日差しのもと、山本宮司により行われ、氏子崇拝者、旧陸軍気象部、気象関係者などが参加しました。

日本で唯一の「気象神社」の例祭として、テレビ局が取材に来ている姿も見られました。

山本宮司からは、気象観測が円滑に行われるよう、また、気象予報が向上するよう祈願されました。

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気象神社の社の内部を拝観できる数少ない機会でもあり、

参列者は順々に玉串を捧げ、拝礼しました。

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例祭の様子は、この「気象神社Web」のライブカメラでも配信され、

遠方で参拝できない方でもご覧いただくことができました。

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「気象神社Web」では、常時最新の気象神社の画像を閲覧することが可能です。

ぜひ季節ごとの気象神社の様子をご覧下さい。

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2009年6月 2日 (火)

気象神社物語(40)

  第25回(平成21年6月1日)気象神社の例祭」

昭和60年6月1日から続いている「気象神社の例祭」は、気象記念日に因み、杉並区高円寺氷川神社境内にある気象神社にて第25回目が執行されました。

 例祭前まではぽつぽつと雨が降っていましたが、例祭が始まる午後2時は雨が止み、予定どおり山本宮司により行われ、氏子崇拝者、旧陸軍気象部、気象関係者など約50名が参加しました。

誠に残念でありますのは、旧陸軍気象部に初代「気象神社」を創建されました渡会様が昨年お亡くなり、姿をお見せにならないことですが、旧陸軍気象部の方々はご高齢にもかかわらず8名ご参加頂きました。

気象神社の祭神(八意心思兼神やごころおもいかねのみこと)は、天照大神が岩屋戸にこもっていた時に八意心思兼神天照大神を岩屋戸から引き出す方策を講じた「知恵の神」と言われ、天の岩屋戸伝説にまつわる話があります。

今年の御祭神は天候の安定を祈願すると共に、“百年に一度の金融危機を乗り越えるために” また、“新型インフルエンザに感染しないよう”この一年を「知恵の神」の御神徳にあやかろうと祈願しました。

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2009年5月 7日 (木)

気象神社物語(39)

「山の神様」

 山の神様」、「火の神様」、「田や養蚕の神様」の祠は村や集落ごとにあり、八十八夜には春の祭事を行うところが北関東から甲信地方にかけ、現在も多く残っています。

「山の神様」の祠は山裾に鳥居と石造りの祠があり、山を支配する神として全国的に、春は盛大に祭りが行われます。

農家の人々は冬は山で木を切り、炭焼きや薪取りの仕事場が安全であったことに感謝し、 また、山は水源として生活に必要な水や米を作る水を供給しくれることや秋の収穫の米・野菜の豊作をお祈ります。神様のお供え物は、繭玉の形をした団子や米を供えて、お祝いする信仰心は信州では今日も続けられています。

立春から88日目は5月2日、3日で春の連休とも重なり、農家では種まき、茶摘など忙しくなる時期の前で、「山の神様」「農業の神様」「火の神様」も同時に祭事を行い、災害悪毒を断ち切り、農業の収穫など諸願をお祈りします。

また、通説ではありますが「八十八夜の別れ霜」とも言われ、この季節の終霜で、これ以後、霜は降りないとされています。

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2009年4月14日 (火)

気象神社物語(38)

Photo_3気象神社の保護樹木

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   気象神社の保護樹木

どこの神社にも境内には大きな木があり、神社の木は神聖視されていますので、ほとんど伐採されません。

気象神社鳥居の前の木にも「杉並区保護樹木」の看板があり、境内のイチョウ6本、ケヤキ1本など9本も保護木として指定されています。

歴史のある神社には御神木として、しめ縄巻かれているスギやイチョウを見かけます。例えば、高野山奥の院「弘法大師廟」には樹齢1千年以上のスギ木があり見事であります。

神社の参拝には境内や参道にある樹木や御神木も歴史好きの方にはうれしいスポットであります。

    

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2009年3月 3日 (火)

気象神社物語(37)

春は日の用心 「火の神様」へ参拝

3月は神社の梅を見ながら各地にある秋葉神社や愛宕神社の火の神様へ、火災消除・家内安全・新築・厄除け祈願はもとより、商売繁盛、工業繁栄に御参拝をされたらどうでしょうか。

ご多忙の方は「気象神社Web」の映像から知恵の神「気象神社」へ。

Photo_3 狭山丘陵堀口天満天神社(3月3日)

江戸時代から「火事と喧嘩は江戸の華」と例えられほど、東京は大火がよく発生しています。天正18年(1590年)から慶応3年(1867年)に大きな火災が620回、そのうち3000戸以上の大火が100件以上にもなり、現代とは比較にならないくらい多くなっています。このため、東京の愛宕神社は慶長8年(1603年)、徳川家康の命により江戸の防火の神様として祀られました

また、昭和時代の冬から春にかけての大火としては函館市(昭和9年3月21日)、静岡市(昭和15年1月15日)、鳥取市(昭和27年4月17日)があります。近年の日本は都市化が進み火災は複雑多様化しており、大規模化の傾向もあります。

日本の最近の年間平均出火件数を見ると冬季から春季にかけては60%前後となっています(「気象と災害」消防科学センター発行)。

火の神様は、秋葉神社(総本社は静岡県・秋葉山山本宮秋葉神社)で、祭神は火之迦具土大神(ひのかぐつちのおおかみ)や愛宕神社(総本社は京都・愛宕神社で伊弉冉尊(いざなみのみこと)と迦具土大神を祭神としています。いずれも火の神を祭神として防火・鎮火に御利益があるとされており、愛宕社は近畿以東に約800社の分社があります。

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2009年2月 3日 (火)

気象神社物語(36)

初代気象神社創建の渡会正彦殿を偲ぶ

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創建を担当した渡会元陸軍気象部教官は(写真;初代気象神社前での渡会殿)  平成203月お亡くな りになりました。

気象神社創建については気象神社物語(3)「気象神社創建の動機」に記しました。

渡会殿が記した「気象神社顛末記」によると、昭和18年の夏に元陸軍気象部長(陸軍大佐)諌式鹿夫殿から御下命され、気象部付き各種気象学生の教官をしていた渡会殿が中心となり気象神社を創建されました(写真参照)。昭和19年4月10日陸軍気象部創立記念日に合わせ竣工し、遷座祭が施工された次第です。

しかし、その後は気象部が編成改正となり、陸軍気象部教育部が創設されて、渡会殿は福生飛行場(現在の横田飛行場)脇に移駐し、更に空襲を避けて埼玉県小川町に疎開しました。昭和19年4月13日の東京空襲で陸軍気象部は被災し、気象神社も消失し、再びその姿を見ることが出来なくなって、渡会殿は以来、脳裏からすっかり消え去っていました。

その後,昭和58年の気象聯隊戦友会席で高円寺に住まいの元気象部第四期甲種幹部出身の上田殿から氷川神社境内に気象神社があると伺い、渡会殿は思わず吾が耳を疑った程の驚きだったそうです。その数日後、すっかり変貌した高円寺の元陸軍気象部の周辺を一巡し、おそるおそる氷川神社を訪れ、本殿の左脇のほの暗い木立ちの陰に祠がひっそり鎮座されていました。

その時の渡会殿は感無量で、自分の知らなかった隠し子に初対面したような複雑な気持ちで、その小さな神社の周りを何度もまわり、写真に収めて、あと髪を引かれるような思いを残して立ち去った。その後、改めて参詣し、晴れて二代目気象神社に拝礼し、宮司にお目にかかり、厚くお礼申し上げた次第でありますと記してあります。

渡会殿のご冥福をお祈り申し上げます。

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2009年1月28日 (水)

気象神社物語(35)

小正月の「山焼き」・「火祭り」

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     各地で小正月頃は「火祭り」や「山焼き」による神事が多くあります。

    奈良市の若草山の山焼き行事は1月24日夜営まれ(写真)、奈良市内のホテルの屋上から観覧する機会に恵まれました。

    今シーズン一番の寒気で小雪がちらつく中、午後5時50分に花火が200発打ち上げられ、午後6時に冬枯れの草地約33ヘクタールに点火され、山肌に静かに広がって、暗い山肌が赤い炎で染まる景色は30分続き、とても幻想的でありました。

    若草山の山焼き行事の起源には諸説ありますが、三社寺(春日大社・興福寺・東大寺)の説によれば、若草山頂にある鶯塚古墳の霊魂を鎮める祭礼とも言われています。

     このほかにも若草山を1月頃までに焼かなければ、何か不祥事件が起こることや三社寺の農地争いを奉行が仲裁し、関係者立会いのもと山を焼いたと言う説もあります。

    また、小正月には全国各地に「どんど焼き」と呼ばれている行事があり、松飾りやしめ縄などの正月飾り、お札などを燃やして正月に迎えた神々を送り出す「送り火」の神事を言い、地方の各神社でも行われています。

    信州では「道祖神火祭り」と称し、集落内の路傍にまつる道祖神の「火祭り」として今でも残っています。特に、有名なものに野沢温泉スキー場では、高さ20メートルの巨大な柱で組んだ社殿の前で厄年の男衆と火付けの攻防戦を行う盛大な火祭り行事が今年も行われました。

    いずれにしても、これらの小正月頃の火祭りの祈願は「五穀豊穣・家内安全」と火災予防のための役割も果たしています。

    冬の行事の火祭りは、一年を無病息災ですごすことができ、また、観光スポットとしても最近は有名になってきました。

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2008年12月16日 (火)

気象神社物語(34)

Photo 初詣のお願い事

今年も残すところ少なくなり、「気象神社」への初詣の願い事は家庭のことはもちろんですが、平成21年は気象制御の技術向上により、集中豪雨の減少・渇水の減少など安心して生活が出来るようお願いします。

気象技術向上のよりどころ「気象神社」参拝の真意とは

「気象神社」は昭和19年4月創建され、当時の陸軍気象部長が技術の向上を求めて、神の力をよりどころにしたと言われております。その真意はわかりませんが、陸軍気象部は科学部隊でありながら戦争地に気象協力隊を派遣し、主として戦闘機などの発着判断を行っておりました。

第二次大戦末期は戦略の手段に困窮しており、科学技術を駆使して、いかに戦争を有利に導くために少しでも効率的に経費を少なくし、戦争を有利にするための後方支援として気象の研究や兵器開発等を行っていました。

その中で、気象学上の理論に着目してその可能性を追求したが、軍事的に失敗であった「風船爆弾攻撃」があり、気象学的には興味のある作戦でした。自由気球を高層風の気象条件を利用した兵器として制御が不可能であったため、その技術が不十分であるが気象学上の角遂に一旗を掲げた作戦としての記録が「陸軍気象史」に掲載されており、この作戦であれば「気象神社」に参拝し、あとは成功を祈りだけで、当時の気象技術指導者の心労がわかります。

この作戦は気球に爆弾を懸吊し、冬季の偏西風帯を利用して、米国に向け放球して攻撃を行う「風船爆弾攻撃」です。

気球爆弾の研究は昭和8-9年頃から陸軍科学研究所で和製紙製気球を用いた兵器研究の開発が行われていましたが、研究に関する一切は陸軍参謀部直轄指揮下で極秘研究とされていました。

昭和199月に大本営直轄聯隊気球聯隊三大隊が結成・展開され、昭和1911月から放球攻撃を開始しました。昭和204月放球中止命令が出るまでに約9千発の気球が放球され、アメリカ・カナダで確認された気球は285地点あると言われています。

  しかし、放球された気球はすべて正常に機能したわけではなく、費用対効果から見れば明らかに失敗の作戦でしたが、その効果は懸吊する兵器等種類によってはその効果は大になることを考えれば、戦争指導者に対する心理的な影響は大きかったと思われます。

  中緯度における偏西風帯の知識を持っていても、1万メートル高度を数10時間の時間に耐え得る気球が作られても、日本から米国本土のある範囲の高速の気流を通過し、到達しても適時、適切に効果を得ることは困難であったと思われます。

現在でも天候・気象等の制御技術は極めて難しく困難なものであり、当時の陸軍気象部の「気象神社」への技術向上の参拝は必要不可欠であり、この軍令を受けた大本営直轄聯隊気球聯隊は、神の力をよりどころに気象神社に参拝しなければならない難題な実戦でありました。このような陸軍気球聯隊の精神的なよりどころの経緯を一つ紹介させて頂き、平成21年も安心して生活が出来る気象・天候でありますようお祈り申し上げます。

( 写真は「気象神社」のある氷川神社本殿)

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2008年10月 9日 (木)

気象神社物語(33)

          紅葉と神社

 今日、世界同時株安の大波は日本経済にも直撃し、深刻さを増しています。気象神社の祭神は知恵の神「八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)」ですが、この神は天照大神が天の岩屋に隠れて世の中が暗闇になった時に岩戸を開ける方法を考えられた神と言いますから、現在闇の中に入っているこの米国発の金融危機が安定し世の中が明るくなることを「気象神社」に祈願しましょう。

さて、これから晩秋にかけて各神社は樹高の高いイチョウの大木・老木のもみじ・桜などの広葉樹が多くあり、紅葉で観光のスポットとして賑わいます。

紅葉は北から南へ、山の頂きから里へと降りてくる紅葉前線は春の桜とはまったく逆です。既に、中部山岳や北海道の高原や渓谷では紅葉が始まっている。十月四日に立山黒部アルペンルートを通ったところ、美女平・室堂・黒部平の2000m付近が今真っ盛りでした。 (写真は黒部平駅からと室堂から見る立山連峰 10月4日撮影

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朝方の気温が8度から9度以下に下がる日が幾日か現れると、紅葉が始まると言われています。 また、その年の気象特性によって、紅葉の始まる時期が早いか遅いか、美しい紅葉であるかどうかが決まります。今年の山岳の紅葉は例年よりやや遅くなっている模様です。

紅葉の美しさの第1条件は秋の高気圧におおわれるような秋晴れが多く、日照をよく受けて朝晩の気温が下がりやすいことです。例えば、渓谷のような地形で昼と夜の気温差が大きい条件が最も美しい紅葉見られます。しかし、紅葉が最も嫌うのは強い台風と秋の長雨の続くような年で、特に葉がいたんだり、同化作用がストップしたりし、鮮やかさがなくなります。 なお、福岡市早良区には「紅葉八幡宮神社」と紅葉の字が付いた室町時代創建された黒田藩守護神社があり、一度参拝したことがあります。

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2008年9月 9日 (火)

気象神社物語(32)

神社とソバ 

ふるさとの秋みつけた!

「信州の鎌倉」では今、ソバの花が真っ盛りです。

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東急電鉄創業者で運輸逓信大臣も歴任した五島慶太生家の前に五島慶太翁公園があり、すぐ近くのソバ畑です。

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 ソバは肥沃過ぎない水はけのよい土壌である火山灰土や黒ぼく土を好みます。

良質なソバ栽培は高冷地の気候で、ソバが実る頃、早朝に朝霧が立つような気候のもとで作られる「霧下ソバ」が、味もすぐれ・ソバの中でもゆであがりも早く・汁とのなじみもよいので絶品と言われます。

最近は手作りの味、おふくろの味に接する機会が少なくなっていますが、信州には伝統的な味の文化を受け継いでいる手打ちソバ屋が多く存在しています。「ソバは75日」と言われるように穀物の中で最も短期間で成長します。

戸隠ソバで有名な信州戸隠神社中社では「ソバ献納祭」が毎年11月上旬に、祭神に献上する新ソバを神様にお供えする儀式が行われます。戸隠神社の神々である天八意思兼命(あめのやごころおもいかねのみことは気象神社の祭神でもある)や九頭龍神(くずりゅうしん)、天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)、天表春命(あめのうわはるのみこと)、天鈿女命(あめのうずめのみこと)5柱の権現様へのお供えをします。

 戸隠神社では江戸時代に江戸の寛永寺の僧侶に教えられて広まり、各地から訪れる戸隠講の参拝客にソバをふるまうのが通例となり「戸隠ソバ」として知られています。

 戸隠ソバをざるで注文すると、一口ぐらいの量ごとに束ね、5~6束をひとつのざるに並べた盛り方で出てくることは、前述したそれぞれの祭神へお供え料理として5~6束とする歴史と深い関わりがあることを物語っています。 

また、東京都深大寺の「深大寺ソバ」も有名で、武蔵野台地の黒ぼく土がソバ栽培に適し、農家の人々はソバを栽培して寺に納めたそうです。湧き水の多いこの地は、ソバをさらす良質な水が豊富であった条件も揃っていました。

江戸後期、深大寺参拝した天台宗関東総本山東叡山寛永寺御門主第五世公弁法親王にソバを献上して賞賛され、別の一説では徳川の第三代将軍家光が鷹狩りの際に立ち寄って、ソバを食べて賞賛されたからとも言われております。

神社や寺の参拝客が多いことから戸隠神社周辺には21軒、深大寺周辺には26軒のソバ屋があります。

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2008年8月22日 (金)

気象神社物語(31)

Photo_2 雷で故障が多発しているテレビやパソコン 

今年の雷は「IC雷」です~

最近の「気象神社Web」参拝者は例年にまして雷が多いのでゴルフに行く人や主婦が多くなっています。今年の関東地方では雷により急にドシャ降りで洗濯物を濡らす機会が目立って主婦は嘆いております。また、ゴルフでは雷により直撃し死亡することもあり、雷が鳴り出すとプレーを中止にするゴルフ場もあります。雷に弱いテレビ・電話機・パソコンが故障するケースも多発しています。家電製品はIC(集積回路)を組み込んであるため、雷から受ける電圧に耐えられないためであります。

先般、友人がテレビとビデオと電話(FAX 内臓)が故障し損害を受けたと嘆いていました。最近は、多機能型のテレビ・パソコン・電話が多く損害額も多くなっています。コンセントにはいくつものICを取り組んだ製品がつながっており、近くに雷が落ちなくても雷の放電の影響で電線から弱い電流が流れるとICはダウンします。

   なお、熊谷市によると市内の小学校に展開している熱中症測定も、雷の影響で停止するケースが連日どこかの場所で発生しおり、装置を破損するところまで至ってはいないがデータ欠落があるとのとこです。

最近の雷はICを直撃するIC雷」と言ってもよいのでは。

     雷に関することわざに、「雷三日」は代表的なことわざであます。夏の暑い時は地面が日射で熱せられ、上空に冷たい空気が流入すると雄大な積乱雲が発生し放電現象がとなます。これが雷であります。上空に寒気が通過するまでに約三日かかるので、雷三日と言われています。

     「西の雷は稲束三束」「雷はお茶漬け三杯」昔はよく言われました。西から来る雷は早く来ることで、稲束を三杷刈り取るうちに来る。お茶漬けを三杯食べるうちにやって来ると言われています。

近くで雷が鳴ったら、雷に弱いパソコン・家電はICがダウンする

コンセントを抜いて万全を!

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2008年8月11日 (月)

気象神社物語(30)

雷にまつわる神社(その1)

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雷電神社               火雷神社 

群馬県板倉町        群馬県玉村町

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加茂別雷神社

    

「気象神社」は天気の総合的な知恵の神であり「雷」も祈願の一つにあります。

子供の頃は「雷さま」といい、雷さまは落ちては人のヘソをとると言い伝えられており、腹を出している子供は「かみなりさまがへそを取りにくるよ」と脅かされましたが、今も結構言い伝えられています。

今夏は太平洋高気圧の張り出しは典型的でなく変則的であり、関東地方は落雷による停電・火災・電車の運転見合わせ・高速道路の通行規制が目立ち、また、集中豪雨による局地的な増水による被害や犠牲者が多くなっています。これは夏の風物詩の積乱雲が発達しやすい気象の条件がそろって雷が多く発生しています。

さて、雷の多発する関東地方を中心に雷・火除けや雨乞え等災難を逃れるために参拝するための神社が数多くあります。これらに関する神社は「かみなりねっと

http://www.kaminari.gr.jp/」によると栃木県34、埼玉県29、茨城県20、群馬県17の神社があります。

雷に関する神社の名前は「雷神社(いかづちじんじゃ)」「雷電神社(らいでんじんじゃ)」「火雷神社(ほのいかづちじんじゃ)・(からいじんじゃ)」「大雷神社(おおいかづちじんじゃ)」「別雷神社(わけいかづちじんじゃ)」があり、地域によって呼び名が違います。祭神は一定ではないが火雷之命(ほのいかづちのみこと)、賀茂別雷命(かもわけみかづちのみこと)大雷大神(おおいかづちのおおかみ)・別雷大神(わけいかづちのおおかみ)等があります。

雷の神とは雷神と呼ぶ人が多く菅原道真は死して「天神」(雷の神)になったと伝えられている。雷神(らいじん)は、日本の信仰ではの神である。「雷様(かみなりさま)」「雷電様(らいでんさま)」「鳴神(なるかみ)」「雷公(らいこう)」とも呼ばれています。

 特に、雷の多い地域には雷と名称が付いた神社がありますので、この季節は行事もあり、参拝する人も多くいます。「雷の多い年は豊作になる」と言うことわざは全国各地にありますが今年は雷が多いので豊作を期待したいものです。

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2008年7月22日 (火)

気象神社物語(29)

”うだる日本列島” 

夏休みは広島市「気象博物館」へ 体験・見学を!   

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今年は平年よりも昨年よりも早く梅雨明け、東京では真夏日が11日連続しています(7月23日現在)。今後、太平洋高気圧が強まって平均気温が近畿・中国・四国地方はかなり高くなる異常天候早期警戒報が発令されています。

この暑い夏休みに日本ではめずらしい気象博物館「広島市江波山気象館」に行って、気象予報の作業現場や原爆に耐えた気象台見学、気象体験を試みてはどうでしょうか。

 この気象館は昭和9年に建設され、昭和62年まで気象観測を続けた広島地方気象台の建物を保存整備し、気象をテーマにした博物館として平成4年に開館しました。建築当時の美しいデザインの建築技術で、昭和20年の原爆の爆風にも耐えた気象館を紹介します。詳しくは(場所・開館時間等)http://www.ebayama.jp/

をご覧ください。

1)お天気情報コーナーは広島市の細かい天気予報を実施して予報士による作業現場を公開しています。

2)映像コーナーは“水のたび”水の蒸発・上昇・雲・雨・川や海に流れて循環する様子と被爆当時の枕崎台風来襲の様子を描いた「空白の天気図」と「広島の四季」の番組があります。

3)体験コーナーは突風として秒速5m・15m・20mの体験カプセルで突風を、また、タイフーンボックスでは雲の中の雰囲気や台風の目の形を体験できます。

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4)気象台の思い出としては原爆の爆風でガラスが突き刺さった壁、曲がった窓枠、8月6日の気象台職員の日誌など被爆関連や気象観測用の機器や旧気象台の歴史を紹介します。

5)毎週土・日曜日や祝日は各種教室(科学実験等)が開催されます。

6)天気相談コーナーとしては天気に対する疑問や質問・回答・助言をします。

7)ショップコーナーとしてはオリジナル「サイエンスグッズ」「ヒロシマエバヤマザクラグッズ」を販売しています。

 この博物館は気象という気象現象に関心を深め、そのメカニズムを理解できる気象神社の祭神である「八意思兼命」の知恵の神の願いである科学技術を体験し技術向上を願う博物館として多くの人に親しまれています。                                                                   (広島市江波山気象館パンフレット参照)

    

    **************************

さて、8月24日に気象予報士試験を受験者される方から「気象神社WEB」の参拝の問い合わせがありました。

「予報士試験が近づき気が張り詰めているのか。いつしか気象神社の御守に向かい拝んでいます。 しかもどこかで聞いたのを繋ぎ合わせた自己流で。 (私は

「2礼」→「3拍」→「天津祝詞を奏上」→「2拍」→「1礼」でしています)気象神社の祭神である「八意思兼命」に拝すは正しい作法を教えて下さい。」

*気象神社への拝礼作法は一般的に“二礼→二拍手→一礼”です。

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2008年7月 9日 (水)

気象神社物語(28)

  熱中症予防の取り組み紹介 熱中症を防ごう!

 

Photo_3 熊谷市 

なるほど!熊谷:あっぱれ!熊谷流 http://wbgt-jwa.on.arena.ne.jp/kumagaya/

                                

 日本では平成7年頃から熱中症患者が増加し死亡率も増えて、東京都をはじめ全国的に熱中症が多発しました。都市部ではヒートアイランドが進行して気温が上昇傾向になっています。加えて高齢化の進行も不安材料で、今後社会問題になりつつあります。平成8年に厚生労働省は各都道府県に熱中症の予防対策の適切な実施の指導を徹底するよう各都道府県に通知しています。

私はスポーツ中に熱中症なり倒れて、全身痙攣と心臓の鼓動が早くなり、救急車で運ばれる途中は失神するなど大変な状況となりました。

このようなことや社会情勢もあり、熱中症は気象各要素の予測値と熱中症患者の統計値を解析すれば予防情報を提供できるのではと考え、財団法人日本気象協会に調査解析をお願いし、東京都から熱中症関連の資料と各気象要素で客観的統計手法を用いて熱中症予防情報の開発を行いました。平成15年梅雨明けから今日・明日の全国各主要都市の熱中症予防情報を日本ではじめて日本気象協会が発表しました。

また、平成177月に厚生労働省は「熱中症の予防対策における暑熱指標WBGT の活用について」環境省やスポーツ団体通知され、暑熱環境リスク評価の有効手段としてWBGT値を採用することを指導しました。

日本ではじめて、熱中症予防情報を開発した日本気象協会は平成17年度から全国市町村ごとの予防情報を1時間ごと48時間先まで、また、1週間先までの精度の高い予防情報をテレビ・ラジオ、インターネット、携帯電話に提供し、炎天下で活動するに人におおいに役立っています。

更に、自治体の中には独自の判断基準に基づいて条例を作り、住民の健康を守るところも出てきました。また、熊谷市では今年から学校単位で気温や熱中症の観測をして予防情報をメールでも発信し、市ぐるみで防ごうという試みを始めました。

 そこで、日常生活、労働、スポーツ時など条件に応じた予防基準を細かく策定し、日本全国の熱中症に関する気象条件を監視し、リスク判定を行うためのきめ細かな注意を喚起する枠組みを整備することがこれから求められています。

 *今年の夏は昨年熊谷市が記録した国内最高気温40.9度を突破するか?

  *熱中症患の疑いある時は首筋を冷やすこと。

   *暑い心配時は「気象神社Web」に参拝しましょう。

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2008年6月25日 (水)

気象神社物語(27)

 「風の神」の威厳も崩れない! 

      いつでも「気象神社Web」 参拝を

  千葉県犬報崎沖 カツオ漁船転覆重大海難事故「三角波」?

    波は下記の天気情報が一番詳しい情報です

   Yahoo Livedoor

      「yahoo天気情報」(釣り)              「livedoor天気情報」(波情報)

 平成20年6月23日午後1時半頃千葉県犬吠崎の東350kmの海上で、第58寿和丸135トンが転覆し17名が死亡や行方不明となっている。カツオ漁船は横波を受けて転覆した。

 気象神社物語(25)海神社(その4)"的確な気象判断がイカ釣り漁船の大災害を救った"に記したが、重大海難事件の犯人は低気圧や前線に伴う高波と黒潮流域である。

海洋学者は複数方向から波がぶつかって出来る「三角波」が発生した可能性が高いと言っている。

海の波ほど刻々とその表情を変えるものはない。瀬戸内海のさざなみ、玄界灘の規則正しい縞模様のうねり、冬の日本海の黒く荒れ狂う白波や波の華、それぞれ印象に焼きついて思い出で深い。

さて、高い波の記録として船舶波浪計で測定された高波としては昭和43年3月17日イギリスの定点観測船が測定した20メートルがある。目視観測では信頼できる最大では昭和8年2月7日アメリカ海軍(オイルタンカー・ランポ号)北太平洋34メートルがある。8階建てビルに匹敵する山のような波であろう。

現在、インターネットの「YAHOO天気情報(釣り)」と「livedoor天気情報」(波情報)では、それぞれ波向き・波の周期・海上の風向風速を60時間から72時間先まで6時間毎予測し、アニメーションで表示している無料情報が最も詳しい情報で大変好評である。

時間の変化予想は漁船にとって保安と操業の両面で必要であり、海難防止と能率向上に役立てて頂けることでしょう。

しかし、これらの予想図の中では表現できない局地的な現象や今回の「三角波」などは忘れないで注意したい。特に、関東沖の黒潮流域は、今回のような原因不明な高波現象が多発している海域で、波形はどれほど鋭く尖っていたかは不明ですが波形の勾配もかなりあつたのではと推測する。特に今回のように低気圧や寒冷前線通過時や季節風の吹き荒れる時の黒潮流軸を避けて、低水温域に移動することが望ましかったと考える。

こうして見ると、風は昔から恐れられているが今回もこの一面は忘れておらず、風の神の威厳もなかなか崩れそうもないので、船に乗るときに最寄の神社へ立ち寄れない際は手軽に「気象神社Webのライブ画像で「気象神社」に祈願することをお勧めする。

   (「魚業と気象」第50号 参考)

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2008年5月12日 (月)

気象神社物語(26)

第24回 気象神社の例祭(平成20年6月1日午後2時 開催 )
         
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     平成19年6月1日例祭の様子

 気象神社の例祭は気象記念日に因んで6月1日で、昭和60年以降は毎年、氷川神社の山本宮司による玉串の奉賛が執行されます。

              記
 日 時;平成20年6月1日 午後2時から
 場 所;東京都杉並区高円寺 氷川神社内気象神社 宮司;山本雅道他 
 参加者;氷川神社氏子、旧陸軍気象部、気象関係者、お天気キャスターなど   

 昨年は5月10日から気象神社インターネットサービスがスタートして、気象神社の現地リアルタイムの映像が遠方の方でも参拝できるようになりました。昨年の例祭の様子も「例祭の様子2007年」では気象神社前に参列者一同が集まり、玉串を奉賛した様子を見ることが出来ます。
 昨年はラニーニャ現象が発生し、夏は猛暑で8月16日の最高気温は、熊谷・多治見で観測史上の記録40.9℃の最も暑い一日でした。ラニーニャ現象は今後夏にかけて終息する見込みで,猛暑にならないよう例年にもまして気象神社にお祈り申し上げましょう。
 気象神社のインターネットをスタートし、1周年経過しました。この影響で俳優や歌手そして気象キャスターが頻繁に訪れています。
例えば
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 「空を見上げよう」和田愛子先生 「タレント天気予報」 山本ゆめさん

*スペースシャワーで平成20年4月30日SkyPerfectTV765チャンネル放映番組「空を見上げよう」(独立法人科学技術振興機構制作)の先生役で出演した“和田愛子さん”も気象神社御払い(気象神社web「気象神社について」参照)に参加しました。
「空を見上げよう」~気象にまつわる科学と技術~は下記URLインターネットでも見られます

 「空を見上げよう」~気象にまつわる科学と技術~紹介ページ

*また、和田さん同様に気象神社に御払いに参加しました。山本ゆめさんの「タント天気予報」もご覧下さい。
 「タレント天気予報」サービス紹介ページ
 「タレント天気予報」サービス紹介ページ
 「タレント天気予報」サービス紹介記事

*アーティストの「おっくん」(RAG FAIR)こと奥村政佳さんが初詣で 珍しい 珍しい気象神社に行ってきました・・とプログに。 
 おっくんのブログ記事

*フジテレビの4月15日放映の番組「孝太郎が行く2」で、気象神社に小泉孝太郎さんと上地雄輔さんが立ち寄った様子が放映されました。その番組の様子が下記ブログに画像付きで掲載されています。
 番組内容紹介ブログ

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2008年4月11日 (金)

気象神社物語(25)

        海の神社(その4)  魚業と気象

的確な気象判断がイカ釣り漁船の大災害を救った!

Tenkizu_5天気図昭和32年12月12ー13日

魚業関係者は神社に参拝も必要ですが、気象技術の向上は海難事故や生産向上に寄与します。

台風と違って低気圧や前線の場合、漁業関係者は無関心で思わぬ事故に遭遇することがしばしばあるが、気象と海事関係者が連携し大惨事を事前に救った過去の記録を紹介します。

当時は注意報・警報も信頼に問題がありましたが、昭和32年12月13日東北地方を襲った大旋風の際、好魚場を目前に控えていた300隻の漁船が気象警報(暴風雨警報)を無視して,港外に出んとするところを海上保安庁八戸海上保安部が適切な処置により呼び返し暴風から守った。

この時、命拾いした魚師の一人は「お蔭様で助かりました。今まであてにしていなかった気象を聞いてから出るようにします」と答えたとのこと。

数日前から、とかく不魚をかこっていたイカ魚も、その後好魚が続き、終期とはいえ、300隻の漁船が待機し、いわば、てぬすね引いて午後2時頃、一斉の出魚の体勢にあった。「獲得物を目の前にして」の魚師気質から来る出魚は数日前から極めて旺盛で、当日も暴風寸前まで、湾内のナギもよかったので、注意報程度では出魚していた経験から、出魚せんとする船が八戸測候所から見えて、ぞくぞくと出船の体勢であった。

 しかし、測候所の気圧計は急なカーブを描いて下降し続け、年を通じ何回あるかないかの「暴風警報」である。測候所は出魚する船に対して拘束力はないため、八戸海上保安部へ通報し協力を求めた。保安部は待機中の船に対し、ラジオやスピーカーによる異例の海上警告を行った結果、そのほとんどが湾内引き返せることに成功した。

 イカ釣り船が出船していたら、17時ごろ魚場達し、操業開始を行っていたら大変な惨事になるところだった。八戸測候所で記録した最大瞬間風速は34.9m、平均風速29.8m、前線が午後4時に通過し突風や竜巻が発生している。

 なお、当日の朝、注意報を無視したイワシ巻網漁船5隻は遭難しており、ちなみに青森地方気象台は午前530分風雪注意報、午前1130分暴風警報を発令している。

 最近は、エレクトニクスの発展で船のIT化や通信技術革新で魚業関係者は、的確な情報に基づいて船を出すことができるようになりました。

参考文献「魚業と気象」45号)

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2008年4月 8日 (火)

気象神社物語(24)

     海の神社 (その3) 

海上鎮護の神として崇敬される「海神社」(かいじんじ

神戸市垂水区  PhotoPhoto_2                                                          

 秋祭りは、毎年10月12日に行われ、みこしをのせた船「御座船(ござぶね)」で、海にのりだす「海上渡御(かいじょうとぎょ)」は昭和の初期に始まり、航海の安全と漁業が栄えることを願う祭りで有名である(海神社HP参照)。

 漁業繁栄、航海の安全の神様として知られている「海神社」(「かいじんじゃ」又は「わたつみじんじゃ」とも言う)は、全国でも数多く存在している。特に、「海神社」として神戸市垂水区のJR、山陽電車の垂水駅のすぐ近くにある神社(写真参照)は古くから海上鎮護の神として崇敬を受けている。 
 言い伝えによると神功皇后(じんぐうこうごう)が三韓の戦(いくさ)に勝って帰ってくる途中、垂水の沖で嵐に会った時に守ってくれた神たちを祀ったのが海神社だと言われている。

  海神三座として以下の三神を主祭神として
 ・上津綿津見神(うわつわたつみのかみ):海上=航海の神
・ 中津綿津見神(なかつわたつみのかみ):海中=魚(漁業)の神
 ・底津綿津見神(そこつわたつみのかみ):海底=海藻、塩の神

 

 インターネットで調べると「海の神社」として呼び名はいろいろある。
1) 海神社(かい) 祭神 豊玉姫命;「奈良県宇陀郡室生村三本松」             海のない奈良の山麓にある近鉄大阪線室生大野駅近く)
2) 海神社(うなかみ) 祭神 豊玉姫命;「和歌山県紀の川市打田町神領」山深い地に船の神が祀られているのは木の神であり、船材の木を船玉として祀っている。
3) 海神社(かい) 祭神 豊玉彦命;「長崎県壱岐市石田町筒城西触」
4) 海神社 祭神 豊玉彦命:「北海道磯谷郡寿都町字磯谷町能津登」地元住民の豊漁祈願のため社殿を建立し奉遷する。爾来海神として奉祀してきた。
5)海神社(わたつみ) 祭神 綿津見大神(わたつみのおおかみ)「函館市栄町」

 海神社は漁業の繁栄、航海の安全、豊漁祈願を祈念して建立されたものが多くあった。

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2008年3月28日 (金)

気象神社物語(23)

海の神社(その2) 風の神 「風穴神社」

Photo 風穴神社の祠 HP赤星山 (写真参照)

海上で一番気になる現象は風であり、台風や台湾坊主と呼ばれる強い低気圧や季節風である。

昔、引安、文永年間のいわゆる元寇の役で、蒙古の大部隊が大きな被害を受け、そのために我が国は難をまぬがれた話はあまりにも有名である。神の風は敵も味方も平等に吹いた筈で、大きな海難を受けたのは馴れない航海に対する判断の甘さであった。

風の予測は非常に難しいものである。ギリシャのアテネには8つの風の神の彫刻があるそうで、それぞれ8つの風の方位を受け持っている。日本の風の神の姿は鬼であり、大きな風の袋を抱えている。

やまじ風で知られる愛媛県東部宇摩地方には土地特有の風がある。この「やまじ風」は、山からの吹きおろしの風でこの地方の人々にはやっかいもので屋根瓦も吹き飛ばすほどである。

養老4年(720)に宇摩大領越智玉澄が大山積の神をお迎えしようとした所、土居の沖で「やまじ風」が吹き船が遭難しかけた。玉澄が豊受山に向けて祈ると、豊受山の隣の山に流星が飛び山頂に赤い火が現れ海を照らし、嵐がおさまったと言われています。後赤星の現れた山を赤星山と呼ぶようになったという。HP「赤星山」参照)

そこにある豊受山の頂にある一つの穴を風穴と呼び、その穴から強い「やまじ風」が吹くと信じていたと言う。昔からそこに小さな祠を祭って「風穴神社」と呼び、例祭日には経一寸の団子を備えて、豊作を祝うと共に風穴に団子を投げ入れて「やまじ風」を吹かないことを祈願しているという。

風は昔から恐れられているが、現代でもその一面は忘れられておらず、風の神の威厳もなかなか崩れそうでない。                                (参考文献;「漁業と気象第50号」

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2008年3月26日 (水)

気象神社物語 (22)

     海の神社(その1)   金刀比羅宮(ことひらぐう)

Photo 全国にある「こんぴらさん」の総本宮「金刀比羅宮」

ご鎮座は神代のころと伝えられ、古くはご祭神大物主の神一柱で、海の神様として厚い信仰を集めています。

 海難事故で決して忘れることが出来ないものに、昭和29年9月26日から27日にかけて台風15号による仮泊中の洞爺丸を含む青函連絡船5隻が沈没した大惨事と、もう一つは昭和40年10月6日から7日にかけて台風29号を避けるためマリアナ海域のアグリハン島に避難した日本漁船7隻が遭難した惨事である。

 台風時は風力階級10以上(25m以上)になると、海上は山のような大波で、中小型の船は一時見えなくなることもあり、海は一面大きい白い泡の塊でおおわれて風下に尾を引いて流れる。そして、いたるところに波頭はしぶきとなって吹き飛ばされ視界は全く悪く、くわえて 滝のような豪雨に見舞われ状況は想像を絶するものであります。

 昭和29年の台風15号は典型的な日本海北上型で、鹿児島に26日2時に上陸し、毎時100kmの猛スピードで大分、松山、広島、米子付近を通過し発達しながら日本海抜け、21時には北海道の寿都沖に向け、まっしぐらに通り抜けました。九州から北海道まで15時間で進み、最大風速は42m/sでした。
 被害は死者行方不明1761人、船舶破損3856隻、家屋全半壊3万戸弱等で海難事故の最大級でした。また、昭和40年10月7日の台風はアグリハン島の台風の中心気圧は914mb、最大風速は50m/s、24時間で、この海域では50mb気圧が低下しました。   なお、日本で最も大型台風であった伊勢湾台風(昭和34年9月22日から23日)は最低気圧905mb、24時間で91mb下降しました。

 このように、海上では台風は想像を絶しますので、気象情報を効果的に利用しても、大きな惨事になることもあります。
 このために、船会社の経営者や漁業関係者は古くから海の神様として厚い信仰を集めている神社「金刀比羅宮」に参拝に出かけます。

 金刀比羅宮は主たる祭神は大物主神(おおものぬしのかみ)とともに、相殿(あいどの)に崇徳(すとく)天皇が祀られています。農業殖産、漁業航海、医薬、技芸など広汎な神徳を持つ神様として、全国の人々の厚い信仰を集めています。特に、船関連、漁業関係者には大事な海の神様です。

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2008年3月13日 (木)

気象神社物語 (21)

           運輸に関するする神社について(その二)
                                       「航空神社」(2)

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運輸関連に関する神社の中に「航空神社」の由来については航空神社(1)に記載しましたが、羽田空港・第一ターミナル・1階に「「羽田航空神社」があります。

  航空に最も縁の深い羽田空港の地に航空界発展の礎となられた諸々の御霊をお祀し、今後の航空界の躍進と航空安全輸送の御加護を祈念する神社です。
昭和38年7月財団法人日本航空協会の航空神社より祭神分霊祭を挙行し「羽田航空神社」を分社創建されました。
現在は羽田空港を離発着するパイロットや客室乗務員他関係者が参拝されることが多いと聞いております。

さて、飛行機を利用する時は、不安がつきまといます。離着陸の時に機体がガクンと揺れたり、なかなか着陸しない時、また、飛行中揺れが大きい時などは「何かあっただろうと」非常に不安がよぎります。

  航空機の運航には気象情報は欠かせません。特に離発着する時の気象が一番大事です。雷雲が近づいたり、前線や低気圧のじょう乱が近くにある場合は、大気の下層の風が急激な変化をしますので、最も飛行機の揺れが大きく事故に結びつく可能性があります。
最近、各空港にある気象台は最新式の空港気象ドップラーレーダーを設置し、気流の乱れの強さを観測し、離着時の可否の判断である飛行方式や進入方式を決定するための観測業務を行って、航空会社や航空局に情報を提供しています。

気象神社を創建した陸軍気象隊は主として、飛行集団の各飛行部隊に気象班を派遣し、転進の指令部将校に気象の判断情報を伝えました。特に、昭和18年12月の東亜戦争カルカッタに対する陸海共同の大規模な進撃機(陸軍92機、海軍36機)作戦は気象隊の協力で大成功を収めたと陸軍気象史に掲載されています。

飛行機を利用する時は漠然とした不安がありますので、[航空神社]や[気象神社Web]で参拝し搭乗すると安心感が出ます。

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2008年3月12日 (水)

気象神社物語(20)

運輸に関する神社 その二

                 航空神社(1)

                

               Photo_2   

             

運輸関連に関する神社の中に「航空神社」があり、その由来等についての詳細は、財団法人日本航空協会ホームページ「航空神社抄史」があります。

(「気象神社WEB」のお知らせ・関連リンクから「航空神社」をクリック)

この神社は昭和6年11月に帝国飛行協会が飛行館屋上に創建され、靖国神社宮司が斎主により鎮座祭が執行され、当時の霊爾簿には航空殉職者325柱がありました。戦争等で一時祭神が中断されましたが、昭和28年に財団法人日本航空協会発足により航空神社祭が復活され、昭和38年から航空功労者も合祀することとなりました。

昭和49年の合祀祭神の当時は航空殉職者、航空功労者を含め、霊爾簿総数6367柱となりました。

昭和57年には航空神社奉賛会が主導する募金活動により、航空会館屋上に航空神社新社殿が落成し、竣工祭並びに遷座祭が挙行されました。

航空神社の祭祀を従来の祭神慰霊の神社から航空平安祈願祭の神社へと転換し、現在は祭神を1月の新年祭と9月20日の例大祭とする航空平安祈願祭(航空安全災難除け・旅行安全・交通安全)を航空関係者で行っています。

気象に縁が深い航空関係には「航空神社」が、東京都港区新橋の航空会館9階の屋上にあります。            

                           平成19年12月撮影  航空会館屋上

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2008年3月11日 (火)

気象神社物語(19)

運輸に関する神社 鉄道神社(2) 鉄道と気象関連の関わり

鉄道に関する過去の大規模自然災害は、千数百人の犠牲者から犠牲者はないけれど、数ヶ月も運行が出来ないなど数多くの災害例があります。

鉄道建設や線路保全の現場に行くと必ず神棚があり、毎日参拝する姿が現在も続いています。

鉄道の過去の災害例を見てみますと(鉄道と電気技術“99Vol10 Vo5参照)

一、        青函連絡船「洞爺丸」転覆海難は昭和29年9月29日台風25号で最大風速58mの強風により、洞爺丸が沈没した事件は犠牲者千数百人。

二、        台風による鉄柱倒壊は平成10年9月22日台風7号による暴風(最大風速40m)で南大阪線の鉄柱12基が連続倒壊し、復旧は約40日。

三、        平成5年8月6日鹿児島地方は集中豪雨に見舞われ、日豊線滝野水駅で列車が土石流に呑み込まれ電車路線断線は6Km。

四、        その他、1)強風が原因で山陰本線餘部駅付近での脱線転覆。2)新潟・長野県境の豪雪地帯では7mを越す積雪で、支柱倒壊・着雪による電線切断、倒木による列車支障。3)信州の小海線や北海道では冬季-30度にもなり線路が凍上現象(霜柱で線路が上る)で列車支障。4)高温でレールが曲り、雷で信号設備や通信制御システム故障など

近年は異常気象で天候の急変で被害も大型化しており、鉄道への被害も地下駅や地下線路への浸水、高速化輸送への地震被害など、大量輸送時代の備えが重要となり、神社への参拝も必要となってきました。

なお、鉄道神社は信州野辺山高原にご神体はレール? JR最高地点に立つ鉄道神社」エキサイトのブログに掲載されていました。

標高1345.675mの表示のある野辺山駅近くの国道141号線沿い脇にJR「最高地点」の名の隣に赤い鳥居があるところが、「鉄道神社」です。鳥居の奥に鎮座しているのはSLの車輪とレールがご神体です。JR最高地点に何かモニュメントと考え創建したもので、建立は2005年4月26日。車輪は小海線を走っていたC56の前輪で、JRから寄付されたもと掲載されていました。

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2008年3月10日 (月)

気象神社物語(18)

                        運輸に関する神社

                鉄道神社(1)

Railroad    鉄道と人情の町「東田端」

  安全祈願の鉄道神社      東田端まちネット(参照)

  

鉄道と気象は非常に縁が深く、鉄道は自然の過酷な気象条件の中でも運転しなければなりません。したがって、過去には強風や豪雨に伴う路盤崩壊等により大きな鉄道事故が数多くあります。

鉄道の輸送・線路・電気供給等災害に結びつく気象要素としては、「風」「雨」「雪・氷」「雷」「温度」「湿度」「霧」等があり、これらの気象の悪化に伴って災害が発生する可能性が高くなります。鉄道事業者は災害防止対策として運転規制や設備強化のための投資を積極的に推進していると聞いております。

鉄道の安全輸送のためには気象庁と鉄道事業者間では昭和9年の室戸台風を契機に連絡会を通して鉄道気象通報業務が行われ、気象台から諸現象の情報が通報され、鉄道事業者は災害防止のために努力されております。

しかし、厳しい自然の中を各設備が正常に機能し維持管理されていなければなりません。自然現象を事前に把握したうえで運転しなければ事故につながります。

近年を振り返ってみましても、強風・豪雨・雪害・塩害・地震等による自然災害の鉄道事故が目立っています。

万全な防災対策や気象・地震の情報を確実に把握し、最大限防ぐために努力しても、鉄道災害は忘れた頃にやってくると言われています。

平成2年頃、東京駅前の旧国鉄本社ビル勤務の友人に会った時、ビル8階屋上の一角に「鉄道神社」があり参拝させて頂きました。友人の国鉄職員から聞きましたところ、鉄道の安全輸送のために各指令を出す指令所(保線・輸送・電力等)の職員の方々が良く参拝されると聞きました。この神社は平成13年に、JR東日本東京地域本社(北区東田端)に移設されています。

設備面での設計基準の見直しや運転規制をしても自然災害を制御できることは出来ません。このため、各指令の担当者は災害が起こらないように精神的なよりどころが必要であり、豪雨・強風・雷など大規模災害が起こりやすい時、特に,気象が基準値を超え悪化した場合は鉄道神社の神の力をよりどころにしたのだろうか。

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2008年1月16日 (水)

気象神社物語(17)

20071205063835                                                                                                                                

 ネット初詣は「気象神社Web

          参拝者急増!

   

所沢市狭山湖からの日の出

 2008年は原油高で物価が上がり、株安の年明けでした。

8750万人がインターネットを利用し、パソコンを用いて情報を活用している時代です。

一人 ひとりが知恵を出して効率良く行動を起こさないと個人差が広がる年になります。

 今年の初詣はネットを用いて、初詣の様子や交通渋滞を調べて参拝をした方が多かったのではないでしょうか。

 「気象神社」は12月31日夜から1月4日朝までライトアップを行い、気象神社のライブ画像を24時間いつでも利用出来るようにしました。気象神社のインターネット初詣のご利益は何と言っても、気象・環境を商売にしている気象関係者はもとより、

     気象予報士試験を目の前に控えている遠方の受験者(試験日;平成20年1月27日)

     天気によって大きく商売が左右される企業の方

     IT開発関係のプログラマー

 等が参拝されたと聞いております。

特に、21時から23時の夜間参拝者が多く、10日までに約1100人が訪れました。

 

 この中には、アーティストの「おっくん」(RAG FAIR)こと奥村政佳さんが・・・・・初詣で 珍しい 珍しい気象神社に行ってきました・・・とプログに書いて「気象神社Web」サイトを紹介して頂きましたので、訪問者は多くなりました。

奥村さんは高校3年生の時に気象予報士資格を取得し、初の高校生予報士でありました。今後も応援方お願い申します。

昨年は年初めから記録的な暖冬、夏は酷暑で日本最高気温は記録更新され、記録的な高温傾向でありました。原因は異常気象をもたらすとされる海象現象「ラニーニャ」が顕著なためであり、今もこの現象は続いています。

日本付近の海水温は平均より高い状態が続いており、この現象は今後、異常気象を引き起こすのか? 今年の株価の不安定と同じように気象の寒暖の差が大きいと予想した方が良いでしょう。

信州の諏訪湖が全面結氷し、氷の膨張・収縮が繰り返されると張った氷が筋状にせり上がる冬の風物詩である「御神渡り」現象があります。暖冬の昨年は見られなかったが今年も今のところこの現象はありません。

暖冬ですと、山は雪が少なくなると雪解けが早くなり、夏場は渇水に見舞われる?

スギ花粉は早く飛散するのか? 

乾燥した気候で森林火災が数多く発生するのか?

大型の台風が日本列島に上陸するのか? 等心配が予想されます。

「気象神社Web」は遠方の人の助けに、ご家庭でいつでも参拝できるサービスです。

~あなたも今年は必ず「知恵の神」の御加護がありますように~

                                                                       

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2007年11月27日 (火)

気象神社物語(16)

  日本各地にある「知恵の神」の紹介(そのニ)
 「知恵の神」「八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)」・・・を御祭神にしている神社は「気象神社」の他、日本では思金神社(神奈川県横浜市)秩父神社(埼玉県秩父市)戸隠神社(長野県長野市)阿智神社(長野県下伊那郡阿智村))静神社(茨城県那珂市)などがあり、「(フリー百科事典)」を参考に調べたので紹介する。
 

「戸隠神社(中社)」
「天八意思兼命(あめのやごころおもいかねのみこと)」
 Chusha                                                       戸隠神社は霊山・戸隠山の麓に、奥社・中社・宝光社・九頭龍社・火之御子社の五社からなる、創建以来二千年余りに及ぶ歴史を刻む神社です。
 その起こりは遠い神世の昔、「天の岩戸」が飛来し、現在の姿になったといわれる戸隠山を中心に発達し、祭神は、「天の岩戸開きの神事」に功績のあった神々をお祀りしています。

 平安時代末は修験道の道場として都にまで知られた霊場でした。神仏混淆のころは戸隠山顕光寺と称し、当時は「戸隠十三谷三千坊」と呼ばれ、比叡山、高野山と共に「三千坊三山」と言われるほどに栄えました。

 江戸時代には徳川家康の手厚い保護を受け、一千石の朱印状を賜り、東比叡寛永寺の末寺となり、農業、水の神としての性格が強まってきました。山中は門前町として整備され、奥社参道に現在もその威厳を伝える杉並木も植えられ、広く信仰を集めました。

 明治になって戸隠は廃仏毀釈の対象になり、寺は切り離され、宗僧は還俗して神官となり、戸隠神社と名前を変えて現在に至ります。

 五社の「中社」の祭神は天八意思兼命(あめのやごころおもいかねのみこと)学業成就・商売 繁盛・開運・家内安全に御神徳があります。

 「阿智神社」
 「天思兼命(あめのおもいのかねみこと)

Ati
 長野県伊那谷の山間地阿智村にあります。阿智神社は式内阿智神社といい、式内とは平安時代の延喜式という公式の書物にのっている。神社のことで、由緒ある神社のことです。

 阿智神社は前宮、奥宮の2つの社があります。前宮は昼神部落の中央部、昼神公園の近く梨子野沢川西岸にあり、祭神は天思兼命と天表春命です。相殿には誉田別尊、健御名方命、大山咋命が祀られています。奥宮は阿知川に沿って上ること2km余、本谷川と黒川が合流して阿知川となる老木が欝蒼としげる半島状の場所に祀られています。祭神は前宮と同じ天思兼命と天表春命です。奥宮の境内には古代の祭祀遺跡といわれている磐座(いわくら)という苔蒸した岩があります。

 祭神の天思兼命はものさしの元といわれるものを発明した神です。また天照大神が天の岩戸にお隠れになったとき、天照大神を再び外に出した神であるともいわれ、勉学や知恵授けの神と名高く参拝者も多くいます。

「静神社」
 「意思兼命(おもいかねのみこと)」

Shizujinja
 静神社(しずじんじゃ)は茨城県那珂市にあります。創建時期ははっきりしないが、『日本文徳天皇実録』に「嘉祥3年(850年)9月使を遣して静神社に奉幣せしむ」との記述があり、それ以前と考えられる。 鹿島神宮、香取神宮と共に東国の三守護神として崇拝され、豊臣氏や徳川氏から寺領などの寄進を受けたとの記録がある。

  江戸時代に入っては、水戸徳川家の祈願所とされ、維持管理は藩費によってなされた。 元々は神仏習合であったが水戸藩第2代藩主徳川光圀が1667年に唯一宗源神道に改め、本殿、拝殿、神門等を造営したが、1841年に社殿が焼失し多くの社宝を失った。 このとき燃えてしまった御神木の切り株が現在も境内に残っている。 現在の社殿は、水戸藩第9代藩主徳川斉昭により1842年に再建されたものである。

 主祭神は建葉槌命(たけはづちのみこと)、相殿神は 手力雄命(たじからのみこと)・高皇産霊命(たかみむすびのみこと)・思兼命(おもいかねのみこと)。 常陸一の宮の鹿島神宮に次ぐ常陸二の宮と称される。延喜式神名帳の名神大社。

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気象神社物語(15)

  日本各地にある「知恵の神」の紹介(その一)

 「知恵の神」「八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)」・・・を御祭神にしている神社は「気象神社」の他、日本では思金神社(神奈川県横浜市)秩父神社(埼玉県秩父市)戸隠神社(長野県長野市)阿智神社(長野県下伊那郡阿智村))静神社(茨城県那珂市)などがあり、(フリー百科事典)を参考に調べたので紹介する。

 八意思兼命の神については、「気象神社物語五」に掲載されていますので併せて参照願います。

・ 「八意(やごころ)」とは神格への尊称である
・ 「思兼(おもいかね)」とは名前の(おもい)は思慮、(かね)は兼ね備えるの意味、多くの人々が持つ思慮を一人で兼ね備えているほど頭の良い神様と言う意味あります。思考・思想・知恵を神格した神と考えられる。またの名を思金の神とも言います。

「思金神社」

「八意思金大神(やごころおもいかねおおかみ)」

Sikinn

この思金の神を祀った神社は、神奈川県横浜市(JR根岸線港南駅近くの小高い丘)に「思金神社」があります。
「思金神社」の御祭神「八意思金大神(やごころおもいかねおおかみ)」となっています。

 「思金神社」は昭和三年白山神社の拝殿として創建され、戦前戦後風雪に耐えて当時の氏子達に守られて、昭和四十三年白山神社に合祀され、昭和四十九年「思金神社」として祀られようになり、今日に到っています。

 岩戸隠れた天照大神を、天の安原に集まった八百万の神にアマテラス(天照大神)を岩戸の外に出すための知恵を授けた名参謀長の神を祀ってあります。
 この神社の御利益はその知恵と才能にあやかって、入試合格、昇進試験合格など学問・受験の神として、また、商売繁盛・家内安全・身体健全・良縁祈願・交通安全・地鎮祭・安産祈願などに信仰されている。

「秩父神社」

「八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)」

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 埼玉県秩父市の秩父神社のあるところは国道140号を南下して道の駅「ちちぶ」近くに秩父鉄道の踏切がある。すぐの所に「秩父神社前」交差点があり、その角に神社の鳥居が聳えている。

 三峯(みつみね)神社、宝登山(ほどさん)神社と並んで秩父三社の一つとされ、古くから秩父地方の総社として崇敬を集めてきた秩父神社は、市街地のほぼ中央にある柞(ははそ)の森に鎮座している。

 秩父神社の歴史は古い。『先代旧事本紀』によれば、創建は崇神天皇の時代までさかのぼる。国造(くにのみやつこ)の知知夫彦命(ちちぶひこのみこと)が祖神の八意思金命(やごころおもいかねのみこと)を祀ったのが、当社の始まりとされている。当時の知知夫は現在の秩父および児玉地方をいう。『国造本紀』は知知夫彦命を知知夫の初代国造としている。崇神天皇の時代に国造制が敷かれていたかどうかは疑問だが、いずれにせよ知知夫を氏名とする豪族がこの地方に盤踞していて、その祖神を集団で祀っていたものと思われる。

 秩父神社は、八意思金命(やごころおもいかねのみこと)、知知夫彦命(ちちぶひこのみこと)、天御中主命(あめのみなかぬしのみこと)秩父宮雍仁親王(ちちぶのみややすひとしんのう)を主神とし、昭和天皇の弟である秩父宮を合祀している。元々の祭神は八意思兼命と知知夫彦命ということになるが、これには諸説あり、八意思兼命・知知夫彦命の他に地方名を冠して「秩父大神」とする説などがある。明治の神仏分離により、妙見菩薩を妙見菩薩と習合していた天之御中主神に改め、社名も本来の「秩父神社」に戻した。

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2007年11月 7日 (水)

気象神社御払い(祈願)

  気象神社御祓い(祈願)平成19年11月吉日(大安 )

 O12将来活躍が期待される気象予報士が御祓いO07

去る平成19年6月1日は気象神社境内にて、「気象神社Web 」サービスが開始されたこともあり、気象神社の例祭は、元陸軍気象部関係者、気象関係者、報道関係者、都議、氏子代表者等により盛大に執行され、この「気象神社Web」に掲載されております。

    

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 今年の天候は地球規模の気象異変が続いており、南半球のオーストラリアでは春季に歴史的な少雨で大干ばつとなりました。                            

 日本では西日本の高級魚・サワラの水揚げが東北の海で急増して、この100年で日本海の海水温が1.6度上昇、地球温暖化の影響が漁場の変化に現れてきました。そして、この夏の最高気温は観測史上の記録で、40.9度が多治見と熊谷で観測、さらに40度以上の地点が五箇所同一日に記録など、最も暑い日で熱中症患者が多く発生しました。

 世界的に都市化や工業化が進んで異常気象被害は経済被害となって、その被害額は膨らんでいるのが目立ち、気象は大きなビジネスリスクとなってきました。

 普段は毎日Webカメラでリアルタイムの映像で参拝していますが、秋の気候の良い11月の大安に、皆で気象神社を訪れ、山本宮司に御祓いして頂き祈願を行うことになりました。

 「気象神社Web」でネットショップ(てるてるくんショップhttp://kisyou.ocnk.net/)を営む社長やその社員、新人でお天気キャスターを目指す気象予報士、映画の科学番組で中学生に気象を教える先生役を演じている気象予報士など、数名が御祓をいたしました。
 

 将来天気予報番組で活躍を期待されるキャスターのサービス内容の向上、気象を戦略的に また、リスクを少なくするために、気象ビジネス事業が発展することを一同心を一つにして祈願しました。

 気象を商売にする方、気象災害のリスクを少なくする国や地方自治体責任者の皆さんもぜひ気象神社に参拝・御払いにお出かけ下さい。

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2007年10月18日 (木)

気象神社物語(13)

                          陸軍気象部とは!

2 陸軍気象部正面玄関

 陸軍の気象部が初めて生まれたのは昭和10年で、その後、航空勢力の進展、戦局の拡大で大組織を構築するように至ったが、敗戦と共にわずか10年で歴史を閉じた。

 支那事変に始まって大東亜戦争に終わった動乱期に地上及び航空諸作戦の支援部隊として、陸軍の気象隊があった。それはおおむね地味な後方部隊として認識されていたようですが、陸軍気象部を頂点に大東亜全域に配置された10指に及ぶ野戦気象隊を含め、膨大な組織を形成していた。作戦地の最前線の測候班は常に地上の敵とにらみ合い、あるいは敵の空襲の危険にさらされて任務遂行につき進んだと、田中耕二元大本営航空参謀(元航空自衛隊幕僚副長)が「陸軍気象史」の序文で述べられている。

 この陸軍気象部は戦局の重大化に伴い航空部隊の気象の認識、利用については間然する余地の多かったことは戦訓として注目された。
 気象が作戦に重大な影響があり、時としてはその勝負を左右するものであることは古来からよく知られている。武田軍と上杉軍の川中島合戦において、朝霧の奇襲攻撃は気象を利用した戦例としてよく挙げられる。

 大東亞戦争でも、ソ連参戦に遭遇した気象隊の役目は測候所からキー局に入るモールスと同じような暗号の気象通報傍受による解読と天気図を作るまでの作業を行った。

 ビルマでは雨季明けの晴れた日を待って、航空作戦は気象隊の気象判断により、140機の大編成により、完全に晴れ上がったところを奇襲し、敵機の炎上撃破を38機の大戦果を収めたなど、さまざま作戦を行うための予報を行った。

1 なお、中川勇氏は終始陸軍気象関係に携わったので、陸軍気象組織の全容が過去の闇に没し去るのを惜しみ、また、多くの戦没気象関係軍人軍属のための鎮魂の念もだし難く、「陸軍気象史」を刊行した。この中には貴重な関係資料を収集しまとめられている。

陸軍気象部内にあった「気象神社」

(気象神社創建担当者の渡会元陸軍気象部教官と後方が神社)

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2007年10月17日 (水)

気象神社物語(12)

気象神社へ「陸軍気象部は何故参拝するのか」

           気象隊の判断のよりどころ

                           陸軍気象部の高層観測風景 

3      

 昭和17年2月スマトラ半島のパレンバン空挺作戦に参戦した気象隊の活動の気象判断が攻撃の成功をもたらした。

 陸軍気象史の大東亜戦における気象の判断の参戦記をみると、当時の気象予測作業は気象情報資料が皆無で、予報をすることは難作業であった。
これを飛行機部隊の実況を丹念に聴集、集積し、収斂線を白紙に描き、未来の天気図を作成する方法により解決したのであった。

 その予報は「数日間殆ど同じような変化をする。一面霧が発生し、日出とともに霧は上昇し、高度50-100mの層雲になり、更にその後は層積雲となり、10時には積雲になり午後は雄大乱積雲に発達し、雷雨となり、夜には雷雲は消滅する。午前中は比較的飛行可能であり、飛行機は海上から運河沿いを飛行すれば安全に確実に到着できることを飛行集団長に意見を具申した。
 第一挺師団は運河沿いを高度3000mで飛行直進し、高度200mで空港近くに進入し、ほぼ予定時刻で降下して、将兵は夕刻までに飛行場を占領し、攻撃は成功をもたらした。

 また、ビルマ作戦への気象協力隊の派遣は、飛行集団の各飛行部隊には気象班が協力、転進の指令部には有能な気象部隊の将校を同行させた。昭和18年12月のカルカッタに対する陸海共同の大規模な航空攻撃が行われた。進撃機は陸軍92機、海軍36機で本作戦の気象協力隊は発足以来大規模なもので、一丸となって気象関連作業の準備し、大成功を収めた。

 これに反し、19年3月のレド油田攻撃は共に失敗した。
悪天で引き返し重爆戦隊長以下9機が全滅した。当時の気象判断は「天気は回復していないが、雲間に切れ目はあるかも」予報どおり、雲の隙間はあったが目標の発見はできなかった。攻撃を断念しえなかった戦隊長は援護機を帰し、裸になった戦隊は次々と敵機に襲われた。気象の立場から言えば攻撃日時を決めて悪天と知りながら攻撃の可否を判断するのは酷である。この場合の攻撃の失敗は気象協力隊の不良に帰するのには当たらない。

 このように気象隊には血気盛んな将校からは批判的な目で見られたが、気象への認識不足のところもあったのではなかろうか。
 科学部隊の気象隊に精神的なよりどころとなるところが必要であった。これらを察し、気象部長は「気象神社」の創建を思いたち、気象予報を具申したあとは、神の力をよりどころにしたのだろう。

陸軍気象史参照)

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2007年10月 9日 (火)

気象神社物語(11)

気象神社仲見世(インターネットショップ)

 「気象神社」はお天気の神様で、これを全国の皆様に知って頂き、知恵の神様としてより多くの皆様にお気軽に気象災難除けにお参りができるように、また、過去の歴史や参拝する時の気象に関することをまとめた「気象神社ウェブ」サービス事業を展開しております。このサービスは、大きく分けて実在神社コーナーと仮想神社コーナーがあり、皆さん参加型の日本で始めてのインターネットです。
Web_jinjya

 実在神社コーナーは音声付の動画対応のウエブカメラが設置されています。この気象神社を訪れて、自分の姿をお友達に見てもらって、スナップ写真(静止画)を撮ることもでき、写った写真を自分のブログに反映することもでき、皆さんで楽しんで気象神社を盛り上げて頂く様に工夫されています。

 また、最新の気象情報が手軽に入手でき、天気予報や東京都や杉並区の詳細な天気予報と防災情報も掲載されており、リンクも航空安全災難除け・旅行安全・交通安全を奉賛する「航空神社」へのリンクバナーがあり、航空に大変役に立つ情報が満載されております。

 更に、仮想神社コーナーでは、画面中央に「おみくじ」があり、ここをクリックすると気象の理解を深めて頂くことができるコラム風おみくじの提供もあります。このコーナーでは大吉など今日の運勢が出てきて、最も人気が高く訪問者が多くいます。季節にあった気象の解説や生活に関する気象知識が得られ、コラムを日替わりで見ることができます。                                                                                                                    このおみくじを印刷(プリンター出力)し、杉並区高円寺の氷川神社社務所に持って行くと気象神社印を宮司からお受けすることができます(代金は100円)。                              神社には下駄の絵馬もあり、社務所では気象神社のお守りや神礼もありますので、是非参拝方お願いします。

 画面には仲見世があり、てるてるくん(Toy ランド) 気象グッズ(ウェザーショップ)防災グッズ(インテリア Miya)環境グッズ(Sweet☆Studio)エコグッズ(The Zakka-ya)健康・美容グッズ(シリウス) てるてるくん(Toy ランド)  6店のお店が並んで、ネットショップで買い物ができるように便利になっています。ここにだけしかないオリジナルグッズが手に入るようになっています。

 ここでの一番人気は、神社キャラクター「てるてるくん」グッズでお子様に人気があり、また、OLの方にはUVセンサー付きの携帯ストラップとなっています。
紫外線を浴びると『てるてるくん』が黄色に変化します。お出かけ時のお肌の予防策になります。(てるてるくん本体:白 ストラップ紐:黄色)
☆『てるてるくん』ストラップはメールにてお問合せすれば送料の割引がございます

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2007年10月 1日 (月)

気象神社物語(10)

「気象神社Web」サービスの事業企画の背景

昭和25年5月10日に財団法人日本気象協会が創立し、気象庁の公表する防災が主な目的だった気象予報などを報道機関に解説する役割を、部分的に公益法人が行うようになったのが民間気象事業の始まりでした。

多様化する民間へのサービスを、国が行なうことに限界がありました。折しも、テレビ全盛時代が到来し、天気予報番組で多くのキャスターが活躍し、サービス内容も向上しています。

海上工事関係者には、安全を確保するため工事区域の強風や高波の詳細な予測が必要で、個別に詳細な気象情報サービスも行われ、予測が外れると数億円の損害を被ることも数多くあり、外れると損害賠償となり、予測を行う会社責任者は大きな責任を負うことになります。数値予測モデルの精度は飛躍的に向上しましたが、海域地域の10分ごとの気象・波高予測は肝心な時に当たらず、科学の力に頼る気象予測の最後は「神頼み」することも多いのです。

こんな時、気象神社のお守りを前にインターネット映像を見ながら気象神社に参拝することが必要となり、このような要望にお答えするためにこの事業を始めました。

過去に、長野オリンピック白馬八方尾根のジャンプ競技で原田選手が優勝しましたが、あの時大雪の中、競技を実施するかの判断も白馬競技場で予測者が判断しました。その時の予測者は神に祈ったと聞きました。

インターネット利用者は年々増えつづけており、気象の安全災難除けを遠方でもいつでも参拝でき、いつでも何処でもインターネット・携帯があれば参拝できる条件をつくることを考えたのが、「気象神社Web」事業サービスです。

このようのなかで、インターネットの神社サイトは御神体が存在していないと言うことで神社庁より自粛を求める通知が出ております。ネット上で仮想的に作られた実在しない神社Webサイトも多く 存在しています。しかし、気象神社の実在を広く宣伝することで、遠方の方でも身近に感じてもらい、実際の場所で訪問して見たい気持ちを高めるとともに、気象知識や気象現象・予測に関する事業者や予測担当者の心のよりどころになり、遠方の人の助けになれるようにと氷川神社山本宮司はこのWebサイトを事業展開していると話しています。

このサービスは気象に縁のある神社として、わざわざ神社に足を運ばなくても、毎日いつでも参拝ができ、現地と同様にご利益があると言われています。この「気象神社Web」サービスは、カメラを使って「気象神社」の最新現地画像閲覧や声を聞くことが出き、遠方の皆様でも現地の独特の雰囲気を味わって頂けるようになっています。「気象神社Web」のサービスは現地へお越し頂けなくても祈願された皆様に御加護があることを願っております。

晴れ祈願、合格祈願(気象予報士合格)、災害防止・天候豊作、登山遭難防止、津波防止、海難防止、航空事故防止、交通事故防止、予報官・予報士の予測適中祈願など。

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2007年9月27日 (木)

気象神社物語(9)

気象神社のマスコットキャラクター「てるてるくん

■そもそも「てるてる坊主」の始まりはいつ頃?

岩井宏美(帝塚山大学名誉教授/民俗学)によるとてるてる坊主を吊るすのは平安時代に中国から伝わった風習で、「まじない」、「呪術」など庶民に身近な仏教文化とともに入ってきたと考えられます。

中国では「掃晴娘」(そうせいじょう)と呼ばれるほうきを持った女の子の紙製人形を吊るし、晴天を祈ったと言われ、ほうきは福を引き寄せる力があるとされ、女性は男性より霊力が強いと信じられていた。しかし、日本では女の子ではなく僧侶を模した。かつての天気祭りをつかさどったのが、修験者や修行僧を意味する「聖」(日和り:ひじり)だったためと考えられる。

 柳田国男氏の著作全集に収められた一文で江戸時代後期の随筆、喜多村著「嬉遊笑覧」(きゆうしょうらん)に「てるてる坊主」が記されている「昔の江戸などでは人形にわざと目を入れず、天気になったら目を描いてやる宣言する例もあった」としている。
願い事がかなえば墨を入れお祭りをするはまさにダルマと同じ発想である。

 「てるてる坊主」は以前、地域によっては「てれてれ法師」「てりてり坊主」「日和坊主」など呼ばれていたが、長野県池田町出身の作家浅原六郎氏の童謡「てるてる坊主 てる坊主 あした天気にしておくれ♪」の歌が広がってからはおおむね「てるてる坊主」にそろってきたと言います。
 

 Teruteru_1st_2山本宮司によると西日本地方では日和坊主といい、晴天祈願に白い坊主頭の人形を吊す風習とともに、逆に雨乞いの際には黒い坊主頭の人形を吊るす風習があった。
 気象神社にも社殿横の絵馬掛け柱に、可愛らしいて「るてる坊主」が飾られている。雨が降り続くと商売にも影響し、天気の回復を気象神社に祈願してくる人が多いと言う。

  そこで、気象神社のWebのキャラクターとして「てるてるくん」と名前をつけました。明るく健康で良い天気が続くようにと言うイメージで作成し、まずは携帯のストラップ用に作製しました

(朝日新聞参照・氷川神社社報第94号より)

名前 てるてるくん
生まれた日 平成19年 5月10日
性別 男の子
好きなもの おひさま・青空
特技 ゆらゆらダンス

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2007年9月26日 (水)

気象神社物語(8-2)

気象にまつわる神社(その2)
「幣立神宮」

 熊本県上益城郡山都【やまと】町(旧名:阿蘇郡蘇陽町)にあり、旧蘇陽町は九州の「へそ」と言われるところで、九州のほぼ真中に位置する、やさしくて爽やかな風が吹く優しい町です。幣立神宮は、元伊勢宮として、祖神を天之御中主とする日の神をおまつりしています。世界の全ての神は天之御中主から生まれたとしています。世界の人々は日本から生まれたものとして、世界の人類を示す「五色の面」が納められています。
 Heitatejingu_450 幣立神宮

 祭神は神漏岐命・神漏美命【かむろぎのみこと・かむろみのみこと】である。両神は古事記で有名な天照大御神よりかなり以前の神で人類の平和を願い火の玉に移ってここ幣立の地にご降臨された宇宙からの神なのだという。ほか大宇宙大和神【おおとのちおおかみ】、天御中主大神【あめのみなかぬしおおかみ】、天照大御神を祀ってある。
しかし、社殿は錚錚【そうそう】たる神々のそれとはふつりあいなほど小じんまりとしたものです。

また、幣立神宮内には「東の宮」があります。.

Jinjya2_2東の宮(幣立宮HP参照

 ここは天児屋命、風の宮大神、雨の宮大神、火の宮大神、をお祀りしてあります。天児屋命は祝詞や言霊、出世の神ともされ、この「日の宮」の初代神官とも言われます。風、雨、火の大神様は自然界の発動源を司る神様でありまして、まさに龍神様の御働きであります。阿蘇の地を、風を起こし雨を降らせ火を燃え上がらせ、永年に渡りご守護される神様であります。

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気象神社物語(8-1)

気象にまつわる神社(その1)

 日本では、おそらく唯一“お天気の神様”をお祀りする神社は「気象神社」であり、将来の気象の安定と気象技術者が天気予報をよく当たるように祈願する神様です。

 気象神社は戦時中、東京都杉並区旧馬橋四丁目にあり陸軍気象部内で祀られたもので、当時の気象隊は大変ご苦労であったと思われます。現在のように電算機・通信技術の発達や静止気象衛星がなかった時代であり、天気を予測するにも戦争中は敵地の天気状況が把握できなく、予測確率は現在よりかなり低かったと思います。
 気象隊は飛行機の離発着や敵地までの高層風を予測しなければならず、それを当てなければ、戦争に影響が出ることもあります。戦争時は悪天でも飛行機・軍艦・戦車を動かすので、気象予測は陸上進攻作戦には大きな影響を与える要素でもあり、予測が外れて戦死する兵隊さんやパイロットもいたと思われます。
「気象神社」はそんな思いもあり、陸軍気象部は気象神社の前で予報が当たることを神に祈っていたことでしょう。 

さて、気象を祀る神社は他にもありご紹介します。

「綾部八幡神社」

佐賀県中原(なかばる)町は佐賀県東部に位置する人口約9000人の町。
中原町に、800年の歴史を持つ綾部八幡神社があります。風神が祀られ、毎年7月15日には、1年間の風の影響を占う神事が行われるほど「風の町」として有名です。風の変化が多い地域として気象学的にも「風の道」として位置付けられており、毎年7月15日に行われる「綾部八幡神社」の「旗上げ神事」は、日本最古の天気予報として有名な神事があります。楼門にある額にも「日本最古の気象台」の文字があります。

同神社にある樹齢700年のイチョウの幹に、竹の先に結びつけた小旗を7月15日に固定し、9月24日の「旗降し神事」で小旗が降ろされるまでの間、50 メートル の高さで、風に揺れ動く小旗を観察します。旗のなびき具合やその形で1年の天気予報を占い、「この天気予報が当たるんですよ。だから地元民に頼られ神事が800年も続いているのではないでしょうか」と、同神社宮司の吉戒雅臣さん(62)は話されています。

 Jinjya1 綾部八幡神社の旗上げ神事

「風の町」と呼ばれるのは綾部八幡神社が「日本最古の気象台」と呼ばれるほど、天気予報を的中させることに由来しています。風になびく小旗の揺れ具合を毎日観察して占い、気象台の予想より当たった例も多いと言います。

1993年、福岡管区気象台の8月の予報は「晴れて暑い日が多い」。同神社は「雨が多く晴れは少ない」と予想。これが的中し、雨による災害が多発しました。同町が筑紫山系の峡谷に位置し、風が有明海から玄海灘に抜ける「風の通り道」にあることも関係していおり、風占いの天気予報と気象変化の因果関係は、佐賀大学の調査でも裏付けられているとか。

なお、中原町には風をテーマにした「風の館」では、天気コーナーなどがあり、天気の変化を知ることができる。風をモチーフにした町のイメージキャラクター「ナーミー」は、町役場の名刺印刷をはじめ、道路に描かれるなど、町は風一色です。                                                     (日刊スポーツ九州参照)

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2007年9月18日 (火)

気象神社物語(7)

例祭日は気象記念日に因んで6月1日

 気象神社の例祭は気象記念日に因んで毎年6月1日で執行されます。昭和60年6月1日は第1回目の例祭が厳粛に執行されました。守護神様のご加護により薄日のさす好天に恵まれ、気象関係者と氏子崇敬者により、ひとり一人玉串を奉賛しました。当日は「植木市」も開催されので、当日は一日参拝者や通行人も参拝されました。昭和60年以降は、山本宮司による気象神社例祭が毎年施行されるようになりました。
 

 また、平成15年6月1日は気象神社が55年振りに第三代目「気象神社」が御造営となり、竣工式と例祭が盛大に行われました。
また、今年の例祭は気象神社インターネットサービスが5月10日開始され、現地のリアルタイムの映像で例祭の参拝の様子がライブ画像で撮影されました。
その例祭の様子はメニュー「気象神社現在の様子」の隣の写真をクリックすると「例祭の様子2007年」が連続写真で見れます。

気象神社のホームページ参照

21  平成19年6月1日気象神社例祭 玉串奉賛 

気象神社前に参列者一同(気象関係者・旧陸軍気象部OB・氏子・TV関係者など)が集まり、玉串を奉賛した。今年はラニーニャ現象が発生し、夏の天候は東・西日本は「平年並~高い」傾向の猛暑と言われておりました。

今年は猛暑にならないよう例年にも増して気象神社にお祈り申し上げましたが、今年は太平洋高気圧が強く、8月16日の最高気温は、観測史上の記録 40.9℃ 熊谷・多治見、2日連続40℃以上(初)館林・越谷、また、同じ日に40℃以上の地点が5ヶ所というのも最多記録で、史上最も暑い一日でした。

四国地方は雨が少なく農作物が心配されておりましたが、台風の接近で大雨が降り解消されました。異常気象は世界各地で頻繁に起きて経済にも影響が出てきました。気象神社のインターネットで今年の台風時は参拝しましたら被害がなく大変嬉しく思っています。

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2007年9月17日 (月)

気象神社物語(6)

気象神社第3代目誕生 
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平成15年6月1日創建

 気象神社の創建は昭和19年旧陸軍気象部創立記念日に因んで初代気象神社が建造されが、戦災により焼失されたが直ぐに再建された。その後、氷川神社境内に移設されて末社に鎮座された。しかし、50年を過ぎた頃から老巧化が進み、一分改修したが、老巧化が更に進み、55年を迎えた平成15年6月1日気象神社例祭に間に合うように新社殿の造営に山本宮司は踏みきった。 テレビ放映やマスコミの宣伝により参拝者が年々増加し、参拝者にふさわしい社殿や造営の青写真・設計を氷川神社責任役員 渡邊建設社長 渡邊史司様に依頼した。新社殿は平成14年氷川神社大例祭終了後から具体化され、渡辺社長様と宮司相談により、気象神社の配置、摂社との均衡を考えて、参道の中心に気象神社を移し変え、他の摂社は奥の突き当たりに、それぞれ並列んに安置することにした。何しろ狭い敷地を目一杯の構築物の移設・建築なので、参拝者に安心して参拝できるように配慮した設計にした。起工式は平成15年3月24日執行されました。

 新社殿は旧気象神社同様,神明造り、第二代神社規模より少し広げ、木曽桧材、屋根は銅版葺です。宮大工は西多摩郡檜村中里 小林光平氏、基礎は地震にも崩れない鉄筋コンクリート造り、神社本体は檜村で制作したものを大型クレーンにて吊り上げ設置した。清楚な社殿で祈願できる環境に配慮し、第三代気象神社は平成15年6月1日の例祭前に完成しました。 気象神社の例祭は6月1日気象記念日に因んで施行され、第1回は昭和60年6月1日でしたので第18回目の例祭日に、参列者ひとり一人が玉串を奉納された。

 最近の参拝者は、天気が仕事に左右される建築業者、工学技術、気象予報士試験合格祈願・学校入学合格祈願など、経済の低迷で人々の気持ちも暗くなりが地なので、世の中を明るくして知恵を頂きたいと気象神社(知恵の神)に参拝者が多くなっていると山本宮司は話しています。

気象神社はインターネットで現地のリアルタイムの映像で参拝が出来る。
ライブ画像のリアルタイム気象神社(http://www.kisyoujinjya.jp/)の様子が視聴することができる。
(サービス開始日:平成19年5月10日)

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2007年9月14日 (金)

気象神社物語(5)

                   やごころおもいかねのみこと
          御祭神「八意思兼命」(知恵の神

 気象神社は昭和19年杉並(旧馬橋4丁目)の旧陸軍気象部構内に造営されていました。御祭神は何の神様をお祀りしたかは、元陸軍気象部教官(陸軍大尉)渡会殿は現存している方々に聞きましたが分からないと言っています。

 気象神社の由緒に詳しい元東京航空気象台予報官 呉林肇様は、御祭神のことを山本実前宮司(現宮司の父君)にお訊ねしたところ「天気予報は学問の粋であり、将来を予測する難しい仕事であるから」とのお答えでした。気象技術者にふさわしい御祭神を「八意思兼命」(やごころおもいかねのみこと)を神職が見出されものと思います。(「氷川神社社報」昭和58年5月吉日第29号と昭和62年5月吉日第45号)に掲載されている。

 山本雅道宮司の「八意思兼命」はどんな神様なのか?の質問に ”日本神話によると思兼命(八意思兼命)は天孫降臨の際に尊に随伴した神の一人であり、天の岩屋戸から天照大神を引き出すために、神楽舞の方策を講じた神で、八意思兼命は多くの人々の思慮を一人で兼ね備えた「知恵の神」なのである”思兼命のカネは大工道具の曲尺のカネに通じるとして、大工が建前の時に行う「手斧初めの儀式」の主神にもなっている。思兼命を御祭神とする神社は、思金神社(横浜市)、秩父神社(埼玉県)、静神社(茨城県)、阿智神社(長野県)は、いずれも建築関係の神として祀られている。水の神や山の神は数多くあるが、天気の神としては気象神社だけで、「晴・曇・雨・風・雷・霜・雪・霧」などの8つの気象現象を制御祈願する神社である。

01_2 祭神「八意思兼命」(知恵の神)由来版

 八意思兼命を「天気の神」としたのは天照大神が天の岩屋戸に隠れて、世の中が暗闇になった時に岩戸を開ける方法を考えられたので、暗闇を明るくする力を持った神とされたからだと言う。

 なお、山本雅道宮司は「八意思兼命」を御祭神している神は秩父神社、戸隠神社に祀られており、この名称をそのまま神社名としている神社が横浜市栄区にある「思金神社」としてある。宮司が昭和62年4月JR根岸線港南駅近くの小高い丘の静かな山間に八意思金大神を祀る「思金神社」を訪問されました。思金と言う名称を直接表示している神はここにしかないのではと思われる。

 八意(やごころ)とは意(こころ)を思いはかることは高度の結びの神性であり、常に天照大神の「み意(こころ)」を心として一切の私心を無にして仕え奉られたものと思われると言われている。

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2007年9月13日 (木)

気象神社物語(4)

気象神社二代目の創建

 気象神社は現在の氷川神社の北西方向800mの旧陸軍気象部(昭和13年3月31日付きで陸軍通信学校から創設された)杉並区馬橋4-499でのちに気象研究所(杉並区高円寺北4-35-8)の正門東側にあった。旧陸軍気象部初代気象部長新妻大佐によって構内に祀られていたものを神宮出身の某見習士官により「気象神社」と称されたと言われています。

 昭和19年4月10日陸軍気象部創立記念日に因み「気象神社」創建されたが、昭和20年4月13日の杉並区馬橋地区の米軍による空襲により、旧陸軍気象部が被災され、その際「気象神社」も焼失された。

 渡会殿の調査によると二代目気象神社は終戦直前に気象神社の設計をされた松下東京大学教授の手により、再建されたことが判明しました。当時は建築資材も職人の手配も極めて困難な状況であったが、自ら図面を描かれ八方奔走の末、漸く再建に漕ぎつけられた経過を松下教授から感激深げに渡会殿に語って下さったそうです。

 終戦により、旧陸軍気象部の施設は昭和22年10月16日中央気象台研究部(のち気象研究所)が入りました。しかし、気象神社の社殿は空になり、付近の子供の遊び場と言うありさまでした。旧陸軍気象部の構内にあった気象神社は戦後の神道指令で除去されるはずが、連合軍宗教調査局の調査漏れで残ったため、当時の氷川神社宮司山本実氏(現山本雅道宮司の父君)は荒れるにまかされている気象神社のことを知り、連合軍総司令部宗教調査局(文部省内)ニコラウス少佐に折衝し、氷川神社社殿に無償で譲り受けました。

 気象神社社殿は昭和23年9月15日に運び込まれ、この社殿とこの末社の台座は同じ寸法でピッタリ合ったそうです。18日の氷川神社例大祭の際に遷座祭が行われました。
遷座した社殿にはこの末社の三神社(日枝神社・御嶽神社・稲荷神社)と共に「気象神社」の名前が掲示されました。

 なお、渡会殿は昭和19年5月に気象部隷下部隊として陸軍気象部教育部が福生にでき、副官を命じられて移駐されたので二代目気象神社のことはその後40年間忘れており、昭和58年の戦友会で気象神社が氷川神社境内に移されていることを知り、思わず吾の耳を疑ったほど驚かされたとのことです。

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二代目気象神社・・・一世代前(平成15年5月31日以前)の気象神社の様子

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気象神社物語(3)

気象神社創建の動機

 気象神社創建については氷川神社社報 第45号(昭和62年5月吉日発行)に、氷川神社 宮司山本雅道様と元陸軍気象部教官(陸軍大尉)渡会正彦殿が鼎談され「気象神社の今昔」について、創建の目的について掲載されている。渡会元陸軍気象部教官殿によると、気象神社は昭和19年4月10日陸軍気象部創立記念日に因んで創建された。

 当時陸軍気象部第三期甲種幹部候補生の教育終了後、気象部付き各種気象学生の教官をしていた渡会殿が昭和19年4月10日の陸軍気象部創立記念日に因んで創建するよう元陸軍気象部長(陸軍大佐)諌式鹿夫殿から御下命され、気象神社建立に携われた。

 気象神社創建の動機は、気象は科学として多分野に学術的な研究分野であり、当時の陸軍気象の技術水準は気象観測具や各種のラジオゾンデ、ラジオトラッキング等を駆使する高層気象観測、断熱線図や大気線図による気団解析、高層天気図、亜細亜天気図等も利用した気象判断等世界的にも誇り得る高度なものだった。しかし、又それだけに気象部隊にはややアカデミックな学術的気風もあって、軍隊としての性格には多少の暖味なところもあった。 しかし、このような科学部隊としての気象隊の精神的な拠り所となることを企図されたものと渡会殿は私見として話をしている。

 渡会殿は東京大学建築科出身であったので大役を命令されたのでしょう。
社寺建築には伝統的な様式な作法、規矩等があり、施工は専門の宮大工によらなければので、神社建設を手がけたことがなかったので大変困ったとか。そこで、第ニ期甲種幹部候補生研究班にお居れて、数ヶ月前召集解除され東京大学に復職された松下紀清夫(元陸軍中尉)に相談し、当時の内務省神社局に居られた神社建築の権威である角南隆先生に設計を依頼した。出来上がった設計図は伊勢宮の外宮に倣った素木の神明造りで、簡素,清淨、気品に溢れた見事なでものでした。 また,御神域については造園学の泰斗であった田村剛東大教授にお願いし、二段の基礎壇上に清楚な玉垣を囲らして玉石を敷き詰めて、社殿にふさわしい荘厳な設計をして頂き、気象神社は昭和19年4月10日の気象部創立記念日に合わせ竣工し、遷座祭が施工され、渡会殿はお賞の言葉を頂いた次第です。

 気象神社は何時如何なる目的で創建されたか、建築に携わった生き証人として語られています。
気象神社は戦時中、旧馬橋4丁目にあった陸軍気象部内に祀られていた。天候は戦争の上陸進攻作戦に大きく影響し戦争の勝ち負けにも左右され、特に,当時は飛行機のパイロットに利用されたのでしょうか。

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初代「気象神社」昭和19年4月10日
(渡会元陸軍大尉殿提供)

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2007年9月 8日 (土)

気象神社物語(2)

気象神社の由緒

神社名: 気象神社
祭神: 八意思兼命(やごころおもいかねのみこと) 「知恵の神」
歴史: 現在の馬橋小学校のところにある陸軍気象部内に造営(昭和19年)
現在地に移転(昭和23年) 別当守 高円寺 氷川神社が管理
詳細はこちら気象神社公式ホームページをご覧下さい。

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 氷川神社境内施設の西側に気象神社入口の第三気象聯隊戦友会・気象関係戦友会有志が立てた説明版「気象神社由緒」によると、

 この気象神社の祭神は八意思兼命(やごころおおもいかねのみこと)(知恵の神)。陸軍気象勤務の統括・教育機関として旧馬橋4丁目(現・高円寺北4丁目)に創設された陸軍気象部の構内に、昭和19(1944)年4月10日に造営。戦後の神道指令で除去されるはずが、連合軍宗教調査局の調査漏れで残ったため、当局に申請して払い受け、昭和23(1948)年9月18日の氷川神社例大祭の際に遷座祭を行ったという。
 陸軍気象部があった中野・高円寺の軍事施設の歴史に触れておこう。明治時代後半に東京市内の人口が急増、広大な敷地を要する官公庁や軍事施設、学校や寺院等は、都市計画により郊外に移された。

 東京市に隣接した中野の原っぱにも諸施設が転入。生類憐れみの令で設けられた中野犬小屋跡の現・警察大学校の場所には、日清戦争直後の明治30(1897)年に陸軍鉄道大隊が創設され、早稲田通りに並行して天沼の日大二高までが、幅30~50mの鉄道線路敷設と機関車運転訓練の演習場になった。

 鉄道大隊は、明治35(1902)年に電信教導隊が併設され、鉄道隊と改称。日露戦争で砲弾命中状況の気球観測が成功し、明治40(1907)年に鉄道隊に気球隊が併設された。鉄道隊が翌年にかけて転営後は、電信隊(電信教導隊が改称)と気球隊の施設になった。

 第一世界大戦での飛行機の重要性が認識され、大正8(1919)年に気球隊は飛行機に編成替えになり、陸軍は「中野飛行場」を計画。翌9年に格納庫用地として、馬橋公園を含む軍用地の拡大を行ったが、狭くて滑走路予定地に民家も多いため、建設は中止された。
放置されていた格納庫用地に、昭和元(1926)年に陸軍通信学校が開校。昭和14(1939)年に通信学校が転出して、入ってきたのが陸軍気象部である。 
戦前の気象観測は中央気象台(現・気象庁)のほかに陸軍気象部、海軍水路部でも行い、陸軍は昭和13(1938)年に気象部を設立、4気象連隊があった。

 戦後、陸軍気象部は運輸省(現・国土交通省)・気象庁の気象研究所に改組。敷地は3分の1に縮小され、残りは馬橋小学校用地などとして払い下げられた。その後、気象研究庁は昭和55(1980)年に筑波学園都市に移転。その跡地は馬橋公園になった。
 陸軍気象部の玄関右側に鎮座し、勤務前に気象観測員が気象予報の的中を祈願したという気象神社である。

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気象神社物語(1)

日本の唯一天気の神様を祭る「気象神社」とは?

 JR中央線、高円寺駅下車、南口から徒歩4分のところに、日本唯一という珍しい気象神社は氷川神社境内末社として祀られている。気象神社はインターネットで現地のリアルタイムの映像で参拝が出来る。(ライブ画像で見れるリアルタイム気象神社からも参拝できる)
 平成19年9月7日台風9号接近時、被害がないように夜でもインターネットで参拝でき、被害のなかったことは大変良かった。 

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平成19年9月8日の画像  てるてるくん

 最近、気象神社の映像を見ていると、猫がお賽銭箱の上でのんびり寝ていることも。
また、この神社のキャラクターのてるてる坊主がぶら下がっている。このてるてる坊主は「てるてるくん」と言い、通常は白色であるが、日が当たると黄色くなるUVセンサー付きのストラップで気象予報士試験合格のお守りとして、とても人気がある。携帯電話のストラップとしても注文が殺到し売れきれ状態が続いているそうです。

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2007年8月17日 (金)

気象神社Web

自宅でいつでも参拝できる「気象神社Web」サービス!

~ 気象の神の御加護があります ~

所在地:東京都杉並区高円寺南4-44-19宮司:山本 雅道では、インターネットホームページ気象神社Webサービスを実施中です。

 お天気の神様として日本唯一の存在である気象神社は、晴・曇・雨・風・雷・霜・雪・霧などを祈願する神として、知恵の神である「八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)」が祀られています。

 このサービスは気象に縁のある神社としてわざわざ神社に足をこの「気象神社Web」サービスは、カメラを使って「気象神社」の最新現地画像を閲覧できるようにし、遠方のみなさまでも現地の独特の雰囲気を味わっていただけるようになっています。

 また、仮想神社では、ホームページに訪問し気象の理解を深めて頂くことができるコラム風おみくじの提供や、お天気キャラクターの「てるてるくん」があります。「てるてるくん」のグッズは、オンラインショップで購入することができます。「気象神社Web」のサービスは現地へお越し頂けなくても祈願された皆様に御加護があることを願っております。

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