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2007年9月13日 (木)

気象神社物語(3)

気象神社創建の動機

 気象神社創建については氷川神社社報 第45号(昭和62年5月吉日発行)に、氷川神社 宮司山本雅道様と元陸軍気象部教官(陸軍大尉)渡会正彦殿が鼎談され「気象神社の今昔」について、創建の目的について掲載されている。渡会元陸軍気象部教官殿によると、気象神社は昭和19年4月10日陸軍気象部創立記念日に因んで創建された。

 当時陸軍気象部第三期甲種幹部候補生の教育終了後、気象部付き各種気象学生の教官をしていた渡会殿が昭和19年4月10日の陸軍気象部創立記念日に因んで創建するよう元陸軍気象部長(陸軍大佐)諌式鹿夫殿から御下命され、気象神社建立に携われた。

 気象神社創建の動機は、気象は科学として多分野に学術的な研究分野であり、当時の陸軍気象の技術水準は気象観測具や各種のラジオゾンデ、ラジオトラッキング等を駆使する高層気象観測、断熱線図や大気線図による気団解析、高層天気図、亜細亜天気図等も利用した気象判断等世界的にも誇り得る高度なものだった。しかし、又それだけに気象部隊にはややアカデミックな学術的気風もあって、軍隊としての性格には多少の暖味なところもあった。 しかし、このような科学部隊としての気象隊の精神的な拠り所となることを企図されたものと渡会殿は私見として話をしている。

 渡会殿は東京大学建築科出身であったので大役を命令されたのでしょう。
社寺建築には伝統的な様式な作法、規矩等があり、施工は専門の宮大工によらなければので、神社建設を手がけたことがなかったので大変困ったとか。そこで、第ニ期甲種幹部候補生研究班にお居れて、数ヶ月前召集解除され東京大学に復職された松下紀清夫(元陸軍中尉)に相談し、当時の内務省神社局に居られた神社建築の権威である角南隆先生に設計を依頼した。出来上がった設計図は伊勢宮の外宮に倣った素木の神明造りで、簡素,清淨、気品に溢れた見事なでものでした。 また,御神域については造園学の泰斗であった田村剛東大教授にお願いし、二段の基礎壇上に清楚な玉垣を囲らして玉石を敷き詰めて、社殿にふさわしい荘厳な設計をして頂き、気象神社は昭和19年4月10日の気象部創立記念日に合わせ竣工し、遷座祭が施工され、渡会殿はお賞の言葉を頂いた次第です。

 気象神社は何時如何なる目的で創建されたか、建築に携わった生き証人として語られています。
気象神社は戦時中、旧馬橋4丁目にあった陸軍気象部内に祀られていた。天候は戦争の上陸進攻作戦に大きく影響し戦争の勝ち負けにも左右され、特に,当時は飛行機のパイロットに利用されたのでしょうか。

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初代「気象神社」昭和19年4月10日
(渡会元陸軍大尉殿提供)

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