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2008年12月16日 (火)

気象神社物語(34)

Photo 初詣のお願い事

今年も残すところ少なくなり、「気象神社」への初詣の願い事は家庭のことはもちろんですが、平成21年は気象制御の技術向上により、集中豪雨の減少・渇水の減少など安心して生活が出来るようお願いします。

気象技術向上のよりどころ「気象神社」参拝の真意とは

「気象神社」は昭和19年4月創建され、当時の陸軍気象部長が技術の向上を求めて、神の力をよりどころにしたと言われております。その真意はわかりませんが、陸軍気象部は科学部隊でありながら戦争地に気象協力隊を派遣し、主として戦闘機などの発着判断を行っておりました。

第二次大戦末期は戦略の手段に困窮しており、科学技術を駆使して、いかに戦争を有利に導くために少しでも効率的に経費を少なくし、戦争を有利にするための後方支援として気象の研究や兵器開発等を行っていました。

その中で、気象学上の理論に着目してその可能性を追求したが、軍事的に失敗であった「風船爆弾攻撃」があり、気象学的には興味のある作戦でした。自由気球を高層風の気象条件を利用した兵器として制御が不可能であったため、その技術が不十分であるが気象学上の角遂に一旗を掲げた作戦としての記録が「陸軍気象史」に掲載されており、この作戦であれば「気象神社」に参拝し、あとは成功を祈りだけで、当時の気象技術指導者の心労がわかります。

この作戦は気球に爆弾を懸吊し、冬季の偏西風帯を利用して、米国に向け放球して攻撃を行う「風船爆弾攻撃」です。

気球爆弾の研究は昭和8-9年頃から陸軍科学研究所で和製紙製気球を用いた兵器研究の開発が行われていましたが、研究に関する一切は陸軍参謀部直轄指揮下で極秘研究とされていました。

昭和199月に大本営直轄聯隊気球聯隊三大隊が結成・展開され、昭和1911月から放球攻撃を開始しました。昭和204月放球中止命令が出るまでに約9千発の気球が放球され、アメリカ・カナダで確認された気球は285地点あると言われています。

  しかし、放球された気球はすべて正常に機能したわけではなく、費用対効果から見れば明らかに失敗の作戦でしたが、その効果は懸吊する兵器等種類によってはその効果は大になることを考えれば、戦争指導者に対する心理的な影響は大きかったと思われます。

  中緯度における偏西風帯の知識を持っていても、1万メートル高度を数10時間の時間に耐え得る気球が作られても、日本から米国本土のある範囲の高速の気流を通過し、到達しても適時、適切に効果を得ることは困難であったと思われます。

現在でも天候・気象等の制御技術は極めて難しく困難なものであり、当時の陸軍気象部の「気象神社」への技術向上の参拝は必要不可欠であり、この軍令を受けた大本営直轄聯隊気球聯隊は、神の力をよりどころに気象神社に参拝しなければならない難題な実戦でありました。このような陸軍気球聯隊の精神的なよりどころの経緯を一つ紹介させて頂き、平成21年も安心して生活が出来る気象・天候でありますようお祈り申し上げます。

( 写真は「気象神社」のある氷川神社本殿)

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