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2009年2月 3日 (火)

気象神社物語(36)

初代気象神社創建の渡会正彦殿を偲ぶ

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創建を担当した渡会元陸軍気象部教官は(写真;初代気象神社前での渡会殿)  平成203月お亡くな りになりました。

気象神社創建については気象神社物語(3)「気象神社創建の動機」に記しました。

渡会殿が記した「気象神社顛末記」によると、昭和18年の夏に元陸軍気象部長(陸軍大佐)諌式鹿夫殿から御下命され、気象部付き各種気象学生の教官をしていた渡会殿が中心となり気象神社を創建されました(写真参照)。昭和19年4月10日陸軍気象部創立記念日に合わせ竣工し、遷座祭が施工された次第です。

しかし、その後は気象部が編成改正となり、陸軍気象部教育部が創設されて、渡会殿は福生飛行場(現在の横田飛行場)脇に移駐し、更に空襲を避けて埼玉県小川町に疎開しました。昭和19年4月13日の東京空襲で陸軍気象部は被災し、気象神社も消失し、再びその姿を見ることが出来なくなって、渡会殿は以来、脳裏からすっかり消え去っていました。

その後,昭和58年の気象聯隊戦友会席で高円寺に住まいの元気象部第四期甲種幹部出身の上田殿から氷川神社境内に気象神社があると伺い、渡会殿は思わず吾が耳を疑った程の驚きだったそうです。その数日後、すっかり変貌した高円寺の元陸軍気象部の周辺を一巡し、おそるおそる氷川神社を訪れ、本殿の左脇のほの暗い木立ちの陰に祠がひっそり鎮座されていました。

その時の渡会殿は感無量で、自分の知らなかった隠し子に初対面したような複雑な気持ちで、その小さな神社の周りを何度もまわり、写真に収めて、あと髪を引かれるような思いを残して立ち去った。その後、改めて参詣し、晴れて二代目気象神社に拝礼し、宮司にお目にかかり、厚くお礼申し上げた次第でありますと記してあります。

渡会殿のご冥福をお祈り申し上げます。

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