気象神社

2011年6月 1日 (水)

気象神社例祭(2011年6月1日)フォトギャラリー②

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気象神社例祭(2011年6月1日)フォトギャラリー①

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2010年6月 3日 (木)

気象神社物語(42)

神社の建築様式

気象神社の建築様式は神明造りです。

初代は昭和19年4月10日に創建され、素木で簡素にまとめられ気品に溢れた見事なものでした、と創建を命令された故渡会様は言っておりました。(気象神社物語参照)

二代目は昭和23年9月15日移設再建(気象神社物語)、第三代目は平成15年6月1日に造営され、その題材は木曽の檜材で屋根は銅板葺きです。気象神社物語6

奈良時代からの神社の建築様式としましては、神明造(しんめいづくり 代表例:伊勢神宮)、大社造(たいしゃづくり 代表例:出雲大社)といった純日本式の建築が多く創建されています。

時代が下るにつれて、仏教寺院の様式の一部を取り入れたりして建築様式は多様化されたと言われており、その様式の代表は、春日造(かすがづくり 代表例:春日大社)、住吉造(すみよしづくり 代表例:住吉大社)などがあります。

神社を参拝する時はこの神社の様式はなんだろうと由来盤を拝見してみてはどうでしょうか。

最近、参拝した神社で非常に珍しい五間社の流造(ながれづくり)の日吉神社(長野県宝)がありました。

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正面の扉が一つだけで、正面の柱間一間にのみ扉が設けられており、五間社という柱間を持つ社殿としては珍しい神社です。

また、この神社は南北朝時代に創建され、素木の部分が多く、高さのある屋根から流れ落ちるような屋根勾配は非常に美しい形を見せてくれる小さな神社です。

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東急電鉄創業者五島慶太翁(長野県小県郡青木村戸殿)生家の近くにありますので、お近くまでお出かけの際は参拝してみてはいかがでしょうか

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2010年6月 1日 (火)

気象神社物語(41)

第26回 (平成22年6月1日)「気象神社の例祭」

気象記念日の今日61日、毎年恒例となっている「気象神社の例祭」が

杉並区高円寺氷川神社境内にある気象神社にて執り行われました。

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61日は、統計上高い確率で晴天となる「晴れの特異日」とされています。

毎年61日に行われる気象神社の例祭は、

そのとおり開始以来一度も雨に降られたことがありません。

今年はここ数年の中でも、さわやかな晴天に恵まれました。

初夏を感じさせる日差しのもと、山本宮司により行われ、氏子崇拝者、旧陸軍気象部、気象関係者などが参加しました。

日本で唯一の「気象神社」の例祭として、テレビ局が取材に来ている姿も見られました。

山本宮司からは、気象観測が円滑に行われるよう、また、気象予報が向上するよう祈願されました。

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気象神社の社の内部を拝観できる数少ない機会でもあり、

参列者は順々に玉串を捧げ、拝礼しました。

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例祭の様子は、この「気象神社Web」のライブカメラでも配信され、

遠方で参拝できない方でもご覧いただくことができました。

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「気象神社Web」では、常時最新の気象神社の画像を閲覧することが可能です。

ぜひ季節ごとの気象神社の様子をご覧下さい。

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2009年6月 2日 (火)

気象神社物語(40)

  第25回(平成21年6月1日)気象神社の例祭」

昭和60年6月1日から続いている「気象神社の例祭」は、気象記念日に因み、杉並区高円寺氷川神社境内にある気象神社にて第25回目が執行されました。

 例祭前まではぽつぽつと雨が降っていましたが、例祭が始まる午後2時は雨が止み、予定どおり山本宮司により行われ、氏子崇拝者、旧陸軍気象部、気象関係者など約50名が参加しました。

誠に残念でありますのは、旧陸軍気象部に初代「気象神社」を創建されました渡会様が昨年お亡くなり、姿をお見せにならないことですが、旧陸軍気象部の方々はご高齢にもかかわらず8名ご参加頂きました。

気象神社の祭神(八意心思兼神やごころおもいかねのみこと)は、天照大神が岩屋戸にこもっていた時に八意心思兼神天照大神を岩屋戸から引き出す方策を講じた「知恵の神」と言われ、天の岩屋戸伝説にまつわる話があります。

今年の御祭神は天候の安定を祈願すると共に、“百年に一度の金融危機を乗り越えるために” また、“新型インフルエンザに感染しないよう”この一年を「知恵の神」の御神徳にあやかろうと祈願しました。

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2009年5月 7日 (木)

気象神社物語(39)

「山の神様」

 山の神様」、「火の神様」、「田や養蚕の神様」の祠は村や集落ごとにあり、八十八夜には春の祭事を行うところが北関東から甲信地方にかけ、現在も多く残っています。

「山の神様」の祠は山裾に鳥居と石造りの祠があり、山を支配する神として全国的に、春は盛大に祭りが行われます。

農家の人々は冬は山で木を切り、炭焼きや薪取りの仕事場が安全であったことに感謝し、 また、山は水源として生活に必要な水や米を作る水を供給しくれることや秋の収穫の米・野菜の豊作をお祈ります。神様のお供え物は、繭玉の形をした団子や米を供えて、お祝いする信仰心は信州では今日も続けられています。

立春から88日目は5月2日、3日で春の連休とも重なり、農家では種まき、茶摘など忙しくなる時期の前で、「山の神様」「農業の神様」「火の神様」も同時に祭事を行い、災害悪毒を断ち切り、農業の収穫など諸願をお祈りします。

また、通説ではありますが「八十八夜の別れ霜」とも言われ、この季節の終霜で、これ以後、霜は降りないとされています。

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2009年4月14日 (火)

気象神社物語(38)

Photo_3気象神社の保護樹木

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   気象神社の保護樹木

どこの神社にも境内には大きな木があり、神社の木は神聖視されていますので、ほとんど伐採されません。

気象神社鳥居の前の木にも「杉並区保護樹木」の看板があり、境内のイチョウ6本、ケヤキ1本など9本も保護木として指定されています。

歴史のある神社には御神木として、しめ縄巻かれているスギやイチョウを見かけます。例えば、高野山奥の院「弘法大師廟」には樹齢1千年以上のスギ木があり見事であります。

神社の参拝には境内や参道にある樹木や御神木も歴史好きの方にはうれしいスポットであります。

    

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2009年3月 3日 (火)

気象神社物語(37)

春は日の用心 「火の神様」へ参拝

3月は神社の梅を見ながら各地にある秋葉神社や愛宕神社の火の神様へ、火災消除・家内安全・新築・厄除け祈願はもとより、商売繁盛、工業繁栄に御参拝をされたらどうでしょうか。

ご多忙の方は「気象神社Web」の映像から知恵の神「気象神社」へ。

Photo_3 狭山丘陵堀口天満天神社(3月3日)

江戸時代から「火事と喧嘩は江戸の華」と例えられほど、東京は大火がよく発生しています。天正18年(1590年)から慶応3年(1867年)に大きな火災が620回、そのうち3000戸以上の大火が100件以上にもなり、現代とは比較にならないくらい多くなっています。このため、東京の愛宕神社は慶長8年(1603年)、徳川家康の命により江戸の防火の神様として祀られました

また、昭和時代の冬から春にかけての大火としては函館市(昭和9年3月21日)、静岡市(昭和15年1月15日)、鳥取市(昭和27年4月17日)があります。近年の日本は都市化が進み火災は複雑多様化しており、大規模化の傾向もあります。

日本の最近の年間平均出火件数を見ると冬季から春季にかけては60%前後となっています(「気象と災害」消防科学センター発行)。

火の神様は、秋葉神社(総本社は静岡県・秋葉山山本宮秋葉神社)で、祭神は火之迦具土大神(ひのかぐつちのおおかみ)や愛宕神社(総本社は京都・愛宕神社で伊弉冉尊(いざなみのみこと)と迦具土大神を祭神としています。いずれも火の神を祭神として防火・鎮火に御利益があるとされており、愛宕社は近畿以東に約800社の分社があります。

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2009年2月 3日 (火)

気象神社物語(36)

初代気象神社創建の渡会正彦殿を偲ぶ

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創建を担当した渡会元陸軍気象部教官は(写真;初代気象神社前での渡会殿)  平成203月お亡くな りになりました。

気象神社創建については気象神社物語(3)「気象神社創建の動機」に記しました。

渡会殿が記した「気象神社顛末記」によると、昭和18年の夏に元陸軍気象部長(陸軍大佐)諌式鹿夫殿から御下命され、気象部付き各種気象学生の教官をしていた渡会殿が中心となり気象神社を創建されました(写真参照)。昭和19年4月10日陸軍気象部創立記念日に合わせ竣工し、遷座祭が施工された次第です。

しかし、その後は気象部が編成改正となり、陸軍気象部教育部が創設されて、渡会殿は福生飛行場(現在の横田飛行場)脇に移駐し、更に空襲を避けて埼玉県小川町に疎開しました。昭和19年4月13日の東京空襲で陸軍気象部は被災し、気象神社も消失し、再びその姿を見ることが出来なくなって、渡会殿は以来、脳裏からすっかり消え去っていました。

その後,昭和58年の気象聯隊戦友会席で高円寺に住まいの元気象部第四期甲種幹部出身の上田殿から氷川神社境内に気象神社があると伺い、渡会殿は思わず吾が耳を疑った程の驚きだったそうです。その数日後、すっかり変貌した高円寺の元陸軍気象部の周辺を一巡し、おそるおそる氷川神社を訪れ、本殿の左脇のほの暗い木立ちの陰に祠がひっそり鎮座されていました。

その時の渡会殿は感無量で、自分の知らなかった隠し子に初対面したような複雑な気持ちで、その小さな神社の周りを何度もまわり、写真に収めて、あと髪を引かれるような思いを残して立ち去った。その後、改めて参詣し、晴れて二代目気象神社に拝礼し、宮司にお目にかかり、厚くお礼申し上げた次第でありますと記してあります。

渡会殿のご冥福をお祈り申し上げます。

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2009年1月28日 (水)

気象神社物語(35)

小正月の「山焼き」・「火祭り」

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     各地で小正月頃は「火祭り」や「山焼き」による神事が多くあります。

    奈良市の若草山の山焼き行事は1月24日夜営まれ(写真)、奈良市内のホテルの屋上から観覧する機会に恵まれました。

    今シーズン一番の寒気で小雪がちらつく中、午後5時50分に花火が200発打ち上げられ、午後6時に冬枯れの草地約33ヘクタールに点火され、山肌に静かに広がって、暗い山肌が赤い炎で染まる景色は30分続き、とても幻想的でありました。

    若草山の山焼き行事の起源には諸説ありますが、三社寺(春日大社・興福寺・東大寺)の説によれば、若草山頂にある鶯塚古墳の霊魂を鎮める祭礼とも言われています。

     このほかにも若草山を1月頃までに焼かなければ、何か不祥事件が起こることや三社寺の農地争いを奉行が仲裁し、関係者立会いのもと山を焼いたと言う説もあります。

    また、小正月には全国各地に「どんど焼き」と呼ばれている行事があり、松飾りやしめ縄などの正月飾り、お札などを燃やして正月に迎えた神々を送り出す「送り火」の神事を言い、地方の各神社でも行われています。

    信州では「道祖神火祭り」と称し、集落内の路傍にまつる道祖神の「火祭り」として今でも残っています。特に、有名なものに野沢温泉スキー場では、高さ20メートルの巨大な柱で組んだ社殿の前で厄年の男衆と火付けの攻防戦を行う盛大な火祭り行事が今年も行われました。

    いずれにしても、これらの小正月頃の火祭りの祈願は「五穀豊穣・家内安全」と火災予防のための役割も果たしています。

    冬の行事の火祭りは、一年を無病息災ですごすことができ、また、観光スポットとしても最近は有名になってきました。

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